第3回女子世界パワーリフティング選手権大会
1982年5月1日、8日−−−イギリス・バーミンガム
月刊ボディビルディング1982年7月号
掲載日:2018.12.02
団長・関二三男 52kg級・今井一枝 56kg級・田鹿香主美
まえがき…………団長・関二三男
左から鈴木茂氏(JPA役員)、吉田寿子JPA女子部長、今井恒彦コーチ、今井一枝選手、関二三男団長、田鹿香主美選手
今大会は、JPAとして予測した参加選手5名が、いろいろな事情で最終的には52kg級の今井一枝選手と56kg級の田鹿香主美選手の2名となった。したがって、日本選手団としては、私とコーチとして今井恒彦氏(今井選手の夫君、もちろん競技経験者)、それに前述の2選手の計4名である。
5月4日、吉田寿子JPA女子部長に見送られて我々の乗ったキャセイ・パシフィック451便は、定刻より40分ほど遅れて、午後5時少しすぎ成田空港を飛び発った。
南廻りコースのため機は先ず台湾の台北で給油をしてホンコンへ。ここは英領なので英国内線となり、フライトナンバーもCX201となる。40分ほどの乗替え時間後、再び飛び発って、次はペルシャ湾岸のバーレンへ。我々が寝ている7時間の間に、中国大陸、インド西部、ヒマラヤを一気にとび越してしまったのだ。
ここでまた給油のため1時間ほど空港待合室で待たされ、再び同機に乗り込む。見ると、いままではアジア人の乗客が多かったが、今度は白人がほとんどだ。途中、アルプスの山々を眼下に見ながら快適に飛び、目指すロンドンのガトウィック空港に無事、着陸。
私にとってイギリスは、1975年、第5回世界選手権大会(男子)以来、7年ぶり2回目であるが、この時は無我夢中だったのでほとんど記憶がない。ただ、列車でバーミンガムへ行ったのを覚えているくらいだ。
今回は旅馴れと、一行4人がみんな少し英語が話せたので、空港での荷物のトラブルやロンドン市内への電話等を何んとか切り抜けて、無事、目的地バーミンガムに到着。現地時間で午後2時である。成田からなんと29時間を要した。
今大会の宿舎であるアルバニー・ホテルに入り、すぐ両選手の体重をチェックする。今井選手50.8kg、田鹿選手57.1gを確認し、トレーニング場の下見に出かけた。車で送ってもらったが歩いても10分くらいと思われる。
トレーニング場の隣りが大会々場のディグベス・シビック・ホールなのでついでにのぞいて見た。おや? パイプオルガンがある……やっぱり第5回大会の行なわれたところだ。それにしても、いま落着いて見廻わすと、7年前に見たときよりずっと小さく感じられる。観客席は500〜600だろうか。いずれにしてもなつかしい。
両選手の調整は夜8時からと決め、急いでホテルに戻って7時30分まで寝ることにした。とにかく長時間の旅疲れで調整どころではない。
夜8時半、再びトレーニング場へ。スクワットとベンチ・プレスを調整したが、2人とも「重い!」と言う。一晩寝て疲れをとれば本当の調子が分るだろう。とりあえず両選手ともスクワットのスタート重量を95kgと決め、そのあと、レフリーの判定の感じを見て2回目から勝負に出ることにする。
いま日本国内でもスクワットのしゃがみの判定について、いろいろ取りざたされているが、IPF自身、これといった名案がないというのが現実である。なぜなら、規定でははっきり判っていても、実際には人間の目が判定を下すからである。そこには必ず微妙な主観の違いというものが生まれてくるはずである。
従って、選手は自分の当ったレフリーの判定のクセを早く見きわめて競技を進めていくのが賢明である。とにかく3回試技が出来るのだから、両選手とも最初の種目で失格しないでほしいと祈るばかりだ。
私は今大会でもどのクラスかのレフリーをする事になるだろう。うまく両選手のところでレフリーが出来るといいが……。
なお、今大会も両選手にそれぞれ自分の試合とその周辺をレポートしてもらうことにした。
5月4日、吉田寿子JPA女子部長に見送られて我々の乗ったキャセイ・パシフィック451便は、定刻より40分ほど遅れて、午後5時少しすぎ成田空港を飛び発った。
南廻りコースのため機は先ず台湾の台北で給油をしてホンコンへ。ここは英領なので英国内線となり、フライトナンバーもCX201となる。40分ほどの乗替え時間後、再び飛び発って、次はペルシャ湾岸のバーレンへ。我々が寝ている7時間の間に、中国大陸、インド西部、ヒマラヤを一気にとび越してしまったのだ。
ここでまた給油のため1時間ほど空港待合室で待たされ、再び同機に乗り込む。見ると、いままではアジア人の乗客が多かったが、今度は白人がほとんどだ。途中、アルプスの山々を眼下に見ながら快適に飛び、目指すロンドンのガトウィック空港に無事、着陸。
私にとってイギリスは、1975年、第5回世界選手権大会(男子)以来、7年ぶり2回目であるが、この時は無我夢中だったのでほとんど記憶がない。ただ、列車でバーミンガムへ行ったのを覚えているくらいだ。
今回は旅馴れと、一行4人がみんな少し英語が話せたので、空港での荷物のトラブルやロンドン市内への電話等を何んとか切り抜けて、無事、目的地バーミンガムに到着。現地時間で午後2時である。成田からなんと29時間を要した。
今大会の宿舎であるアルバニー・ホテルに入り、すぐ両選手の体重をチェックする。今井選手50.8kg、田鹿選手57.1gを確認し、トレーニング場の下見に出かけた。車で送ってもらったが歩いても10分くらいと思われる。
トレーニング場の隣りが大会々場のディグベス・シビック・ホールなのでついでにのぞいて見た。おや? パイプオルガンがある……やっぱり第5回大会の行なわれたところだ。それにしても、いま落着いて見廻わすと、7年前に見たときよりずっと小さく感じられる。観客席は500〜600だろうか。いずれにしてもなつかしい。
両選手の調整は夜8時からと決め、急いでホテルに戻って7時30分まで寝ることにした。とにかく長時間の旅疲れで調整どころではない。
夜8時半、再びトレーニング場へ。スクワットとベンチ・プレスを調整したが、2人とも「重い!」と言う。一晩寝て疲れをとれば本当の調子が分るだろう。とりあえず両選手ともスクワットのスタート重量を95kgと決め、そのあと、レフリーの判定の感じを見て2回目から勝負に出ることにする。
いま日本国内でもスクワットのしゃがみの判定について、いろいろ取りざたされているが、IPF自身、これといった名案がないというのが現実である。なぜなら、規定でははっきり判っていても、実際には人間の目が判定を下すからである。そこには必ず微妙な主観の違いというものが生まれてくるはずである。
従って、選手は自分の当ったレフリーの判定のクセを早く見きわめて競技を進めていくのが賢明である。とにかく3回試技が出来るのだから、両選手とも最初の種目で失格しないでほしいと祈るばかりだ。
私は今大会でもどのクラスかのレフリーをする事になるだろう。うまく両選手のところでレフリーが出来るといいが……。
なお、今大会も両選手にそれぞれ自分の試合とその周辺をレポートしてもらうことにした。
◇52kg級……………………今井一枝
52kg級・今井一枝選手のスクワットとデット・リフト
5月5日、生まれて始めての国際大会出場の緊張と不安を胸にバーミンガムに着いた。
運悪く、大会1ヵ月前に大腿部の肉ばなれと靭帯を痛めてしまい、一番大切な時期に練習が出来なくて、あせりと不安がつのるばかりでした。
しかもその間、長期間仕事を休まなければならないので、仕事の調整をする事と、主人がコーチとして同行するので、2人の子供を残して行かなければならない為に、私の母に留守中の事を頼みに行ったりで、大会出場を決めてから出発まで、とにかくあわただしく、とても短く感じられました。
ちなみに今日、日本では"子供の日"「お母さん、ガンバッテね!」と手を振って送ってくれた子供達の顔が目に浮ぶ。
5月6日、宿舎であるアルバニー・ホテル内でセックス・チェックが行なわれた。これは、口腔の粘膜をヘラの様なもので削り取って調べるもので、夕方には結果が出た。もちろんOK。
5月7日、大会初日は44kg級、48kg級、52kg級、75g級、82.5kg級の順に行なわれ、私の出場する52kg級は2番目である。バーミンガムに着いてすぐ測定したときの体重が50.8kg、午前の検量でも増減なし。
午後4時30分、競技が開始された。
◎スクワット
私は第1回目95Kgからスタート。これは安全な重量で白ランプ3つ。2回目は115kg。それほど重く感じられなかったが、少し前にぐらついてしまい失敗。3回目は思いきって125kgに増量。これに成功すれば日本新記録だと心に念じて挑戦したが失敗。やはり大会直前の怪我や出発準備のための練習不足が影響したようだ。
この種目ではオーストラリアのS・ジョーダン(結婚して姓がロバーツから変わった)が、さすがに古豪らしく140kgからスタートし、2回目、3回目は失敗したが5kgの差でトップに立った。
◎ベンチ・プレス
私は先ず45kgからスタート、白ランプ3つ。第2回目は50kg。これは押しきれず失敗。第3回目も同重量で挙ったと思ったのだが、左右の手が均等でなかった為に失敗。
この種目ではカナダのK・ボギアスが強く、75kgからスタートし、2回目は77.5kgで共に成功。3回目は85kgに挑戦。これは失敗だったが、それにしても強い。外国選手はベンチ・プレスが強いと聞いていたが、自分の目で見て、あらためてその強さに驚いた。
◎デッド・リフト
第1回目105kg、白ランプ3つ。2回目120kg、これも引き上げたと思ったが白1つ、赤2つで失敗。3回目は日本新記録をねらって130kg。これは膝上までしか引けず失敗。
ベンチ・プレスを終った時点では、上位1〜3位までは、ジョーダン、ボギアス、ステーンロッドの順で、しかも僅少差。最後のデッド・リフトに勝負がかけられた。
ボギアスは、第1回目、2回目共に150kgに挑んだが、引く瞬間すべってしまい失敗。3回目は根性で引き、成功させたが、彼女の実力から見て大へん不本意の記録だったと思う。これはほとんどの選手がベビーパウダーを使用しているため、階段からステージまで粉だらけで、その上、ステージが板だった為に、よけいにすべりやすくなっていたのでしょう。
ジョーダンは155kg、ステーンロッドは160kgを引いてデッドヒートの結果、ともにトータル365kg。体重差でジョーダンが優勝した。
全試技を終了した選手から順にメディカル・ルームでステロイドとアンフェタミンのテストの為に100ccのお小水をとる。女子選手の場合、これが一番苦労したのではないかと思う。
結局、私は3種目ともスタート重量は成功したが、そのあとはいずれも失敗してしまった。残念ではあるが、失格しなかっただけでも、せめてもの慰みでした。
世界選手権に初参加して感じたことは各国の選手がとても美人ぞろいだった事です。まるでビューティ・コンテストを見ているようだった。体格も同じ位なのに、よく引き締っていてプロポーションもよく、私などは2番目に体重が少ないのに、足は一番太かったようです。よく練習をやり込んでいるのでしょう。
世界の檜舞台を実際にこの目で見てしかも貴重な体験をさせていただいたが、これらの事をいかして、さらに一生懸命練習に励み、一歩でも世界のトップ・レベルに近づくよう頑張りたいと思います。
最後に、大会前からずっと体の事を心配してくださった関団長と、コーチとして同行してくれた御主人様に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。
運悪く、大会1ヵ月前に大腿部の肉ばなれと靭帯を痛めてしまい、一番大切な時期に練習が出来なくて、あせりと不安がつのるばかりでした。
しかもその間、長期間仕事を休まなければならないので、仕事の調整をする事と、主人がコーチとして同行するので、2人の子供を残して行かなければならない為に、私の母に留守中の事を頼みに行ったりで、大会出場を決めてから出発まで、とにかくあわただしく、とても短く感じられました。
ちなみに今日、日本では"子供の日"「お母さん、ガンバッテね!」と手を振って送ってくれた子供達の顔が目に浮ぶ。
5月6日、宿舎であるアルバニー・ホテル内でセックス・チェックが行なわれた。これは、口腔の粘膜をヘラの様なもので削り取って調べるもので、夕方には結果が出た。もちろんOK。
5月7日、大会初日は44kg級、48kg級、52kg級、75g級、82.5kg級の順に行なわれ、私の出場する52kg級は2番目である。バーミンガムに着いてすぐ測定したときの体重が50.8kg、午前の検量でも増減なし。
午後4時30分、競技が開始された。
◎スクワット
私は第1回目95Kgからスタート。これは安全な重量で白ランプ3つ。2回目は115kg。それほど重く感じられなかったが、少し前にぐらついてしまい失敗。3回目は思いきって125kgに増量。これに成功すれば日本新記録だと心に念じて挑戦したが失敗。やはり大会直前の怪我や出発準備のための練習不足が影響したようだ。
この種目ではオーストラリアのS・ジョーダン(結婚して姓がロバーツから変わった)が、さすがに古豪らしく140kgからスタートし、2回目、3回目は失敗したが5kgの差でトップに立った。
◎ベンチ・プレス
私は先ず45kgからスタート、白ランプ3つ。第2回目は50kg。これは押しきれず失敗。第3回目も同重量で挙ったと思ったのだが、左右の手が均等でなかった為に失敗。
この種目ではカナダのK・ボギアスが強く、75kgからスタートし、2回目は77.5kgで共に成功。3回目は85kgに挑戦。これは失敗だったが、それにしても強い。外国選手はベンチ・プレスが強いと聞いていたが、自分の目で見て、あらためてその強さに驚いた。
◎デッド・リフト
第1回目105kg、白ランプ3つ。2回目120kg、これも引き上げたと思ったが白1つ、赤2つで失敗。3回目は日本新記録をねらって130kg。これは膝上までしか引けず失敗。
ベンチ・プレスを終った時点では、上位1〜3位までは、ジョーダン、ボギアス、ステーンロッドの順で、しかも僅少差。最後のデッド・リフトに勝負がかけられた。
ボギアスは、第1回目、2回目共に150kgに挑んだが、引く瞬間すべってしまい失敗。3回目は根性で引き、成功させたが、彼女の実力から見て大へん不本意の記録だったと思う。これはほとんどの選手がベビーパウダーを使用しているため、階段からステージまで粉だらけで、その上、ステージが板だった為に、よけいにすべりやすくなっていたのでしょう。
ジョーダンは155kg、ステーンロッドは160kgを引いてデッドヒートの結果、ともにトータル365kg。体重差でジョーダンが優勝した。
全試技を終了した選手から順にメディカル・ルームでステロイドとアンフェタミンのテストの為に100ccのお小水をとる。女子選手の場合、これが一番苦労したのではないかと思う。
結局、私は3種目ともスタート重量は成功したが、そのあとはいずれも失敗してしまった。残念ではあるが、失格しなかっただけでも、せめてもの慰みでした。
世界選手権に初参加して感じたことは各国の選手がとても美人ぞろいだった事です。まるでビューティ・コンテストを見ているようだった。体格も同じ位なのに、よく引き締っていてプロポーションもよく、私などは2番目に体重が少ないのに、足は一番太かったようです。よく練習をやり込んでいるのでしょう。
世界の檜舞台を実際にこの目で見てしかも貴重な体験をさせていただいたが、これらの事をいかして、さらに一生懸命練習に励み、一歩でも世界のトップ・レベルに近づくよう頑張りたいと思います。
最後に、大会前からずっと体の事を心配してくださった関団長と、コーチとして同行してくれた御主人様に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。
◇56kg級……………………田鹿香主美
56kg級2位・田鹿選手のデット・リフトと表彰式
私の出場した56kg級は、5月8日午前10時に検量、正午に競技が開始された。まず始めに選手紹介があり、参加者12名で、第1種目のスクワットが開始された。
●スクワット
私は4月の始め頃から膝を痛め、医者の治療を受けながらの練習だったため、とくに下肢を使うスクワットとデッド・リフトは大会の2週間ほど前から、全くといっていいほどやっていなかった。そのため、スタートは安心してできる重量でやり、2回目、3回目に勝負をかけることにし、95kgでスタートした。もちろんこれは成功。
この日、先に競技を終了した今井さんのスーパー・スーツをお借りし、いつもよりバンデージをきつく巻いて2回目110kg、3回目120kgと思いきって増量した。スクワットは私にとって不得意の種目だったので、110kgがせいぜいだろうと思っていたのに、スーパースーツのお陰か、120kgでもそんなに重量感がなく、立ち上がってしまった。なんだか、10kg得をしたような気持だった。
◎ベンチ・プレス
この種目は自信があったので、65kgでスタートし、70kg、72.5kgとする予定だったが、2回目、3回目とも70kgを失敗し、結局、65kgという平凡な記録で終ってしまった。せっかくスクワットで予定より10kgオーバーしたのにそれもほとんど帳消しになってしまった。
1位になったJ・トーマスのベンチ・プレスは、さすがに"強い"という印象を受けた。腕も太いといった感じはなく、女性らしい小さな手で、87.5kgのベンチ・プレスをするのだから、さすがは世界のトップ・リフターである。
◎デッド・リフト
今度の大会で一番エキサイトしたのがこのデッド・リフトです。2種目が終った時点で、上からJ・トーマス、A・イリウオマ、M・ジョルジュ、そして4位が私という順だった。
私は2回目、147.5kg。これに成功すれば3位に入賞だと言われ、無我夢中で引いた。成功。思ってもみなかった3位入賞という言葉に、ただ驚くばかりで、しばらく信じられなかった。
そうこうしているうちに、A・イリウオマが3回目失敗し、私が3回目に152.5kgを成功すれば体重差で2位になるというのです。3位入賞の興奮で、考える余裕もなく152.5kgに挑戦。膝までは簡単に引けたが、そこからフィニッシュがなかなか決まらず、渾身の力をこめてジワジワと引いていると、会場から「Come on」という大声援がいっせいに湧き上がり、会場中が一体となって私を励ましてくれる。国内の試合ではとても想像できないほどの物凄い興奮と声援であった。
結局、3回目も成功。初めての世界選手権で自己記録を更新し、2位に入賞できたことは、まったく予想していなかっただけに、心の底からうれしさがこみあげてきた。
この大会で感じたことは、今まで雑誌の上での記録だったものが、この目で確かに見て、女性でも鍛練すれば体重の3倍挙上も不可能ではないということと、私自身、まだまだ無駄な脂肪があり、練習不足だということをつくづく感じた。これらの教訓を生かし、今後の試合でさらに記録を伸ばせるよう頑張りたいと思う。
今大会で、2位入賞という、思いがけない成績が残せたのは、56kg級の競技が2日目だったために、試合の流れがつかめたこと、スーパースーツをお借りできたこと、最後のデッド・リフトで堅く確実にとっていったことなど一緒に行った皆さんのご協力があったからだということを、この場をかりて関団長、今井御夫妻に厚くお礼申しあげます。
●スクワット
私は4月の始め頃から膝を痛め、医者の治療を受けながらの練習だったため、とくに下肢を使うスクワットとデッド・リフトは大会の2週間ほど前から、全くといっていいほどやっていなかった。そのため、スタートは安心してできる重量でやり、2回目、3回目に勝負をかけることにし、95kgでスタートした。もちろんこれは成功。
この日、先に競技を終了した今井さんのスーパー・スーツをお借りし、いつもよりバンデージをきつく巻いて2回目110kg、3回目120kgと思いきって増量した。スクワットは私にとって不得意の種目だったので、110kgがせいぜいだろうと思っていたのに、スーパースーツのお陰か、120kgでもそんなに重量感がなく、立ち上がってしまった。なんだか、10kg得をしたような気持だった。
◎ベンチ・プレス
この種目は自信があったので、65kgでスタートし、70kg、72.5kgとする予定だったが、2回目、3回目とも70kgを失敗し、結局、65kgという平凡な記録で終ってしまった。せっかくスクワットで予定より10kgオーバーしたのにそれもほとんど帳消しになってしまった。
1位になったJ・トーマスのベンチ・プレスは、さすがに"強い"という印象を受けた。腕も太いといった感じはなく、女性らしい小さな手で、87.5kgのベンチ・プレスをするのだから、さすがは世界のトップ・リフターである。
◎デッド・リフト
今度の大会で一番エキサイトしたのがこのデッド・リフトです。2種目が終った時点で、上からJ・トーマス、A・イリウオマ、M・ジョルジュ、そして4位が私という順だった。
私は2回目、147.5kg。これに成功すれば3位に入賞だと言われ、無我夢中で引いた。成功。思ってもみなかった3位入賞という言葉に、ただ驚くばかりで、しばらく信じられなかった。
そうこうしているうちに、A・イリウオマが3回目失敗し、私が3回目に152.5kgを成功すれば体重差で2位になるというのです。3位入賞の興奮で、考える余裕もなく152.5kgに挑戦。膝までは簡単に引けたが、そこからフィニッシュがなかなか決まらず、渾身の力をこめてジワジワと引いていると、会場から「Come on」という大声援がいっせいに湧き上がり、会場中が一体となって私を励ましてくれる。国内の試合ではとても想像できないほどの物凄い興奮と声援であった。
結局、3回目も成功。初めての世界選手権で自己記録を更新し、2位に入賞できたことは、まったく予想していなかっただけに、心の底からうれしさがこみあげてきた。
この大会で感じたことは、今まで雑誌の上での記録だったものが、この目で確かに見て、女性でも鍛練すれば体重の3倍挙上も不可能ではないということと、私自身、まだまだ無駄な脂肪があり、練習不足だということをつくづく感じた。これらの教訓を生かし、今後の試合でさらに記録を伸ばせるよう頑張りたいと思う。
今大会で、2位入賞という、思いがけない成績が残せたのは、56kg級の競技が2日目だったために、試合の流れがつかめたこと、スーパースーツをお借りできたこと、最後のデッド・リフトで堅く確実にとっていったことなど一緒に行った皆さんのご協力があったからだということを、この場をかりて関団長、今井御夫妻に厚くお礼申しあげます。
◇第3回女子世界パワーリフティング選手権成績
月刊ボディビルディング1982年7月号
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