★末光健一選手に緊急インタビュー!!
あの恐喝事件の真相は?
月刊ボディビルディング1982年10月号
掲載日:2018.05.14
1972年度IFBBミスター・ユニバース(ショートマン)に選ばれた末光健一選手が、恐喝の容疑で逮捕されたニュースは、テレビ、新聞等によって報道され、ボディビル関係者に大きな衝撃を与えた。
報道によると「過去2年間、10数回にわたり、弟子として入門したAさんを恐喝し、金品を得た」とのことで、過去の輝やかしい栄光と対比して、落ちぶれた偶像の姿を浮き彫りにしている。
末光選手は逮捕され、拘留されたあと、相手と和解することを条件に不起訴となり、罪としては問われなくなった。そして現在、平常どおりの仕事に復帰した末光選手に、果たして事実はどうなのか、どんな心境にあるかを語ってもらった。
事件が事件だけに、とりあげ方がむずかしいが、読者をはじめ多くの方々からの問合せもあり、慎重を期しつつ事件の核心について紹介していこう。
その前に一言、お断わりしておきたいのは、我々は警察官ではないので、末光選手が語ったことがすべて真実であるかどうかの裏付けをとったわけではないこと、そして被害者であるAさんと接触できないため、Aさんの話を聞いていないので、あくまでも、末光選手の一方的な話をそのままここに掲載したということである。
報道によると「過去2年間、10数回にわたり、弟子として入門したAさんを恐喝し、金品を得た」とのことで、過去の輝やかしい栄光と対比して、落ちぶれた偶像の姿を浮き彫りにしている。
末光選手は逮捕され、拘留されたあと、相手と和解することを条件に不起訴となり、罪としては問われなくなった。そして現在、平常どおりの仕事に復帰した末光選手に、果たして事実はどうなのか、どんな心境にあるかを語ってもらった。
事件が事件だけに、とりあげ方がむずかしいが、読者をはじめ多くの方々からの問合せもあり、慎重を期しつつ事件の核心について紹介していこう。
その前に一言、お断わりしておきたいのは、我々は警察官ではないので、末光選手が語ったことがすべて真実であるかどうかの裏付けをとったわけではないこと、そして被害者であるAさんと接触できないため、Aさんの話を聞いていないので、あくまでも、末光選手の一方的な話をそのままここに掲載したということである。
■事件の事実関係について
――まず逮捕されたときの模様をお聞きしたいのですが。
末光
本当にびっくりしました。8月11日の朝7時すぎ、家族とぐっすり眠っていたところ、ブザーが鳴り、ドアーを開けたら警官でした。そして、恐喝の容疑で連行されたのですが、子供がいたので手錠はかけられませんでした。部屋を捜索され、写真や手帳、電話のメモまで、いっさい持っていかれました。テレビ、冷蔵庫、カメラなども持っていかれて部屋はガランとなり、妻と3歳になる女の子は、ただ、オロオロとおびえていました。
――新聞やテレビに報道された恐喝の事実はあったのですか?
末光
私自身は恐喝したつもりではなかったんですが、A君があまりにも誠意(?)がなかったので、最後に会ったとき(7月28日)に、かなり強い言葉でなじりました。そのとき、深い考えもなく、出まかせに「俺は暴力団にも知り合いがあるんだぞ」と言ったんです。それが、法律上、恐喝になるんだそうです。もちろんこれまで私は暴力団と交際したことなどありません。
――Aさんに誠意がなかったので、最後に恐喝めいた言葉でAさんをおどしたということは、Aさんから当然もらうべき金額があったということですか?
末光
そうです。一昨年の秋、A君は私あての置き手紙に「いろいろお世話になったお礼として250万円を支払います」と書いていったんです。そしてその後、何回か私の家を訪れて金を置いていったんです。これはすべてA君が自発的に持参したものです。
――お世話になったお礼として250万円払うというのも計算の根拠がわかりませんが、新聞によると、Aさんは末光さんのところに住み込みでボディビルを教えてもらったと書いてありますが、我々の常識では、ボディビルを住み込みで教えるというのも納得できませんが……。
末光
それにはいろいろわけがあるんです。最初に私がA君と知り合ったのは確か昭和54年でした。当時、私は新宿トレーニング・センターで練習しており、A君もやはりそこの会員でした。
知り合ってしばらくして、A君は私に「個人的に指導してほしい」というので、私はちゃんと月謝をもらって指導をしました。
そして昭和55年4月、A君は学校を卒業して日本鋼管に就職したんです。ところが、彼は目が非常に悪かったため、一般の業務につくことができず、守衛のような仕事をやるように会社から言われたんです。それに嫌気がさして彼はすぐ会社をやめて実家に帰ったんです。
ところが、彼の家族は、せっかく一流企業に就職できたのに、やめてしまったというのでトラブルがあり彼が私のところに相談にきました。その時、ちょうど一部屋空いていたので、彼がそこへ引っ越してきたんです。もちろん、私は彼の両親に連絡し、両親も「よろしくお願いします」とたいへん喜んでいました。
――その段階では、まだA君との間に金銭的な問題は何もなかったんですね。
末光
そうです。
――新聞の記事によれば、末光さんを訪ねて来た友人のお金を5万円ほどAさんが盗んだことが、今回の恐喝の原因のように書かれていますが?
末光
A君が5万円盗んだ問題と、今回の恐喝事件とは全く関係ありません。新聞の記事は違っています。A君がお金を盗んだのは私を訪れた友人のではなく、私と同じアパートの隣の部屋に住む私の弟のお金です。
確か一昨年の8月頃、弟の部屋から3日連続お金が盗まれたんです。金額は合計5万ほどでしたが、どうもA君の態度がおかしいので、問い正したところ、彼は「私が盗みました」と白状しました。そして、彼の両親もあやまりに来て、お金も返してくれたので、その件はそれで解決しました。
だから、その5万円の盗難の件と今回の問題とは全く関係がありません。
――その盗難事件のあと、Aさんは例の250万円を支払いますという置き手紙を残して末光さんの家を出たわけですね。
末光
そうです。そしてさっき話したように何回かにわたって私の家にお金を届けに来ているんです。その金額が合計いくらになったかは別に帳面をつけていたわけではないのではっきりわかりませんが、A君のいうには約110万だということです。
――警察が恐喝事件と断定したのは、その250万を返しますという文面は末光さんがA君を脅迫して書かしたと見ているんじゃないですか?
末光
そうだと思います。しかし、実際に私が無理に書かしたものでもなく、何回もいうように、彼がそう書いて私の部屋に置いていったものです。それが証拠には、それから10回以上にわたって毎月、私の家にお金を持ってきているんです。私は一度も彼のところへお金をとりに行ったことはありません。いつも彼が自発的に持って来てくれたんです。
実際に、私は恐喝するほど金に困っていません。今は義父の経営する岡山製作所で旋盤その他の精密機械の仕事をしており、給料も充分にもらっています。残業代を含めて月30万くらい収入がありますから、同年齢のサラリーマンより上ではないでしょうか。ですから、生活に困ってこの事件をおこしたなんてことは絶対にありません。あれは、いわば、私がA君のめんどうを見たときの貸金をかえしてもらうようなつもりで彼に要求していたのです。
――金の他、カメラやテレビも取り上げたと報道されていますが、それはどうなんですか?
末光
カメラは彼が出ていくとき、今までお世話になったお礼のしるしに差し上げます、といってくれたものです。テレビは、彼が、今度住む部屋は狭くてテレビを置く場所がないので、しばらくあずかっておいてほしいというので、そのままあずかっていただけです。だから、彼がとりにくればいつでも渡そうと思っていました。彼が自分の都合でとりに来なかっただけのことです。
――では、先日の逮捕の直接のキッカケとなった7月28日のA君との話はどういうことですか?
末光
彼が私の家を出てから、さっき話したように、毎月、何万円かずつ持ってきましたが、6ヵ月前からパッタリ来なくなったんです。彼のところには電話がないので、こちらからは連絡がとれません。それで、都合が悪いなら悪いで、電話をくれるなり、直接、私のところに来て、その説明をするように言ったんです。それでも彼から何の連絡もないので頭にきた私は、彼のところに行ってどなったというわけです。
A君は「実は6ヵ月前に交通事故を起こして、その損害賠償のためにお金がない」というようなことをいいました。
そのとき、私の言った言葉の中の「馬鹿にするな」とか「ナメるな」とか「暴力団に知り合いがある」などと、口から出まかせに言った言葉が、恐喝になってしまったんです。
――それにしても、普通、我々が誰かに金を貸したとして、期限がきてもなかなか返さなかった場合、その相手に対して、かなりきびしいことを言っても恐喝事件になることはないと思うのですが、今回の末光さんの場合、恐喝事件になったということは、最初の「250万円を返す」という書類そのものが脅迫された状態で書かされたものだったということではないでしょうか?
末光
何回もいうように、絶対にそうではありません。A君が自発的に書いたものです。しかし、7月28日、最後に彼に会ったときの言葉が、法律上、恐喝ということになるとすればそれは確かに私が言ったことであり、私は検事さんにも、はっきりそのとおり申し上げました。
いずれにしても、ミスター・アジア選手権を前にして、みんなが一丸となってやっているときに、私のこの不祥事が新聞などに報道され、みなさんにたいへんご迷惑をお掛けしたことを心からおわびします。
末光
本当にびっくりしました。8月11日の朝7時すぎ、家族とぐっすり眠っていたところ、ブザーが鳴り、ドアーを開けたら警官でした。そして、恐喝の容疑で連行されたのですが、子供がいたので手錠はかけられませんでした。部屋を捜索され、写真や手帳、電話のメモまで、いっさい持っていかれました。テレビ、冷蔵庫、カメラなども持っていかれて部屋はガランとなり、妻と3歳になる女の子は、ただ、オロオロとおびえていました。
――新聞やテレビに報道された恐喝の事実はあったのですか?
末光
私自身は恐喝したつもりではなかったんですが、A君があまりにも誠意(?)がなかったので、最後に会ったとき(7月28日)に、かなり強い言葉でなじりました。そのとき、深い考えもなく、出まかせに「俺は暴力団にも知り合いがあるんだぞ」と言ったんです。それが、法律上、恐喝になるんだそうです。もちろんこれまで私は暴力団と交際したことなどありません。
――Aさんに誠意がなかったので、最後に恐喝めいた言葉でAさんをおどしたということは、Aさんから当然もらうべき金額があったということですか?
末光
そうです。一昨年の秋、A君は私あての置き手紙に「いろいろお世話になったお礼として250万円を支払います」と書いていったんです。そしてその後、何回か私の家を訪れて金を置いていったんです。これはすべてA君が自発的に持参したものです。
――お世話になったお礼として250万円払うというのも計算の根拠がわかりませんが、新聞によると、Aさんは末光さんのところに住み込みでボディビルを教えてもらったと書いてありますが、我々の常識では、ボディビルを住み込みで教えるというのも納得できませんが……。
末光
それにはいろいろわけがあるんです。最初に私がA君と知り合ったのは確か昭和54年でした。当時、私は新宿トレーニング・センターで練習しており、A君もやはりそこの会員でした。
知り合ってしばらくして、A君は私に「個人的に指導してほしい」というので、私はちゃんと月謝をもらって指導をしました。
そして昭和55年4月、A君は学校を卒業して日本鋼管に就職したんです。ところが、彼は目が非常に悪かったため、一般の業務につくことができず、守衛のような仕事をやるように会社から言われたんです。それに嫌気がさして彼はすぐ会社をやめて実家に帰ったんです。
ところが、彼の家族は、せっかく一流企業に就職できたのに、やめてしまったというのでトラブルがあり彼が私のところに相談にきました。その時、ちょうど一部屋空いていたので、彼がそこへ引っ越してきたんです。もちろん、私は彼の両親に連絡し、両親も「よろしくお願いします」とたいへん喜んでいました。
――その段階では、まだA君との間に金銭的な問題は何もなかったんですね。
末光
そうです。
――新聞の記事によれば、末光さんを訪ねて来た友人のお金を5万円ほどAさんが盗んだことが、今回の恐喝の原因のように書かれていますが?
末光
A君が5万円盗んだ問題と、今回の恐喝事件とは全く関係ありません。新聞の記事は違っています。A君がお金を盗んだのは私を訪れた友人のではなく、私と同じアパートの隣の部屋に住む私の弟のお金です。
確か一昨年の8月頃、弟の部屋から3日連続お金が盗まれたんです。金額は合計5万ほどでしたが、どうもA君の態度がおかしいので、問い正したところ、彼は「私が盗みました」と白状しました。そして、彼の両親もあやまりに来て、お金も返してくれたので、その件はそれで解決しました。
だから、その5万円の盗難の件と今回の問題とは全く関係がありません。
――その盗難事件のあと、Aさんは例の250万円を支払いますという置き手紙を残して末光さんの家を出たわけですね。
末光
そうです。そしてさっき話したように何回かにわたって私の家にお金を届けに来ているんです。その金額が合計いくらになったかは別に帳面をつけていたわけではないのではっきりわかりませんが、A君のいうには約110万だということです。
――警察が恐喝事件と断定したのは、その250万を返しますという文面は末光さんがA君を脅迫して書かしたと見ているんじゃないですか?
末光
そうだと思います。しかし、実際に私が無理に書かしたものでもなく、何回もいうように、彼がそう書いて私の部屋に置いていったものです。それが証拠には、それから10回以上にわたって毎月、私の家にお金を持ってきているんです。私は一度も彼のところへお金をとりに行ったことはありません。いつも彼が自発的に持って来てくれたんです。
実際に、私は恐喝するほど金に困っていません。今は義父の経営する岡山製作所で旋盤その他の精密機械の仕事をしており、給料も充分にもらっています。残業代を含めて月30万くらい収入がありますから、同年齢のサラリーマンより上ではないでしょうか。ですから、生活に困ってこの事件をおこしたなんてことは絶対にありません。あれは、いわば、私がA君のめんどうを見たときの貸金をかえしてもらうようなつもりで彼に要求していたのです。
――金の他、カメラやテレビも取り上げたと報道されていますが、それはどうなんですか?
末光
カメラは彼が出ていくとき、今までお世話になったお礼のしるしに差し上げます、といってくれたものです。テレビは、彼が、今度住む部屋は狭くてテレビを置く場所がないので、しばらくあずかっておいてほしいというので、そのままあずかっていただけです。だから、彼がとりにくればいつでも渡そうと思っていました。彼が自分の都合でとりに来なかっただけのことです。
――では、先日の逮捕の直接のキッカケとなった7月28日のA君との話はどういうことですか?
末光
彼が私の家を出てから、さっき話したように、毎月、何万円かずつ持ってきましたが、6ヵ月前からパッタリ来なくなったんです。彼のところには電話がないので、こちらからは連絡がとれません。それで、都合が悪いなら悪いで、電話をくれるなり、直接、私のところに来て、その説明をするように言ったんです。それでも彼から何の連絡もないので頭にきた私は、彼のところに行ってどなったというわけです。
A君は「実は6ヵ月前に交通事故を起こして、その損害賠償のためにお金がない」というようなことをいいました。
そのとき、私の言った言葉の中の「馬鹿にするな」とか「ナメるな」とか「暴力団に知り合いがある」などと、口から出まかせに言った言葉が、恐喝になってしまったんです。
――それにしても、普通、我々が誰かに金を貸したとして、期限がきてもなかなか返さなかった場合、その相手に対して、かなりきびしいことを言っても恐喝事件になることはないと思うのですが、今回の末光さんの場合、恐喝事件になったということは、最初の「250万円を返す」という書類そのものが脅迫された状態で書かされたものだったということではないでしょうか?
末光
何回もいうように、絶対にそうではありません。A君が自発的に書いたものです。しかし、7月28日、最後に彼に会ったときの言葉が、法律上、恐喝ということになるとすればそれは確かに私が言ったことであり、私は検事さんにも、はっきりそのとおり申し上げました。
いずれにしても、ミスター・アジア選手権を前にして、みんなが一丸となってやっているときに、私のこの不祥事が新聞などに報道され、みなさんにたいへんご迷惑をお掛けしたことを心からおわびします。
[ボディビル関係者にご迷惑をかけましたと、神妙に語る末光選手]
[恐喝事件の真相について語る末光健一選手]
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以上が末光選手に対するインタビューのあらましであるが、冒頭にも書いたように、Aさんへのインタビューができないため、片手落ちの感はあるがすでにこの事件が不起訴となったことでもわかるように、新聞報道とはかなり真相は違うようだ。
以上が末光選手に対するインタビューのあらましであるが、冒頭にも書いたように、Aさんへのインタビューができないため、片手落ちの感はあるがすでにこの事件が不起訴となったことでもわかるように、新聞報道とはかなり真相は違うようだ。
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