ニュース 1982年10月号
月刊ボディビルディング1982年10月号
掲載日:2018.09.14
■第1回日米親善パワーリフティング選手権大会
6月20日 於・米軍岩国基地サクラ劇場
中国・四国地区選抜チーム(5名)対岩国基地駐留米軍チーム(25名)との第1回日米親善パワーリフティング選手権大会が6月20日、岩国基地で行われた。結果は次のとおり。
(記録=香川県協会理事長・中尾達文)
■第1回ミスター全三河ボディビル・コンテスト初代チャンピオンに梅村輝雄選手
第1回ミスター全三河ボディビル・コンテストは、愛知県三河地区の選手25名が参加して、8月1日、岡崎市のジャスコ6階催事場で行われた。コンテストの結果は次のとおり。
優勝・梅村 輝雄(トヨタ自動車、39才、170cm)
2位・下平 俊行(トヨタ自動車、32才、170cm)
3位・田中 和雄(新日本製鉄、33才、160cm)
4位・安東 秀明(トヨタ自動車、34才、165cm)
5位・河原 隆文(トヨタ自動車、28才、167cm)
6位・猪原 幸夫(新日本製鉄、28才、165cm)
優勝・梅村 輝雄(トヨタ自動車、39才、170cm)
2位・下平 俊行(トヨタ自動車、32才、170cm)
3位・田中 和雄(新日本製鉄、33才、160cm)
4位・安東 秀明(トヨタ自動車、34才、165cm)
5位・河原 隆文(トヨタ自動車、28才、167cm)
6位・猪原 幸夫(新日本製鉄、28才、165cm)
(レポート・写真=河口耕二)
[第一回ミスター全三河コンテスト]
■JPA国際部ニュース
国際部長・吉田 進
①1982年度パワーリフティング選手権大会の薬物検査について
IPF(世界パワーリフティング連盟)は、今年5月の女子世界選手権大会に引き続き、今秋11月、西ドイツ・ミュンヘンで行なわれる男子世界選手権大会に於ても、アンフェタミン(興奮剤)、アナボリックステロイドに対しての薬物検査を、IOC方式にならって行なうと発表した。これは、世界選手権に参加する全リフターに対して行なわれるもので、これに違反したリフターは1年間、IPF公認大会に出場できなくなる。なお、この処分についても現在検討中で、今後一層厳しくなるものと見てよいだろう。
②全米選手権大会―7月10、11日、オハイオ州
注目を浴びた52kg級、クンハとタンバーの熱戦
[52kg級の驚異の新人、身長140cmのクンハ選手 写真はアメリカ在住の伊差川浩之選手提供]
例年ならば重いクラスほど盛り上がるのが全米選手権であるのだが、今年は驚異の新人クンハの登場によって、ベテラン、ダンバーとの間で強烈な戦いが交された。
クンハは[写真]、パワーリフティングを始めてやっと2年になろうかという新人であるが、身長は140cmに満たない小人で、その体型をうまく利用したスクワットとベンチ・プレスで、すでに世界トップ・レベルまで来ている選手である。対するダンバーは、今まで何回も世界選手権に出場しているベテランである。
試合は、クンハがスクワット237.5kg、ベンチ・プレス世界新の145kgと、ダンバーを22.5kgリードして最後のデッド・リフトを迎えた。ダンバーは、1回目167.5kgを失敗、2回目、この重量をやっと引き、クンハの出方を待った。クンハは、3回目に170kgを成功させトータル552.5kgとなり、その差25kgをつけ優勝したつもりで喜んでいたが、ここで信じられない事がおこった。
ダンバーは、同記録なら体重差で優勝できるのを見込んで、192.5kgに挑戦し、これを引いてしまったのである。彼のいままでのデッド・リフトの最高記録が170kg程度であったことを考えると、これはまさに火事場のバカ力であったようだ。
こうして2人共に552.5kgと、今年の全日本選手権での因幡選手の記録550kgを上まわったことを考えると、無敵を誇っていた因幡選手にもついに強敵があらわれ、11月の世界選手権では全く予断をゆるさなくなった。
他のクラスでの目立った記録としては、ふたたび56kg級へ落としてきたガントが、デッド・リフト290kg、トータル627.5kgを出しているのが目につく。60kg級ではブラッドレーが体重オーバーで失格したため、優勝したハンサーの記録は平凡600kg。67.5kg級は、クレインが1クラス上がったため、ロシグリオーネが700kgで優勝。そして、そのクレインは75kg級で780kgで優勝。このクラスで800kgをマークしているガーグラーは、昨年痛めた上腕二頭筋が回復せず今回は不参加。
82.5kg級ではブリッジスが出した記録がなんと995kg。彼のこの記録を上まわったのは125kg級とスーパーヘビー級の巨人たちだけだった事実を見れば、この記録のすごさがわかろうというもの。特にスクワットの380kgが光っている。
90kg級は常連トーマスが907.5kgで優勝。100kg級も昨年につづきキャッシュが940kgで優勝。このクラスのスクワットで400kgの世界記録をもつドクター・スクワット、ハットフィールドは、ベンチ・プレスで肩を痛めて失格してしまった。110kg級は、昨年優勝のウォルバーがインドでもらったマラリヤから回復せず不参加。かわってシュナイダーが935kgで優勝。125kg級は、今年のワールド・ストロンゲストマン・コンテストにも参加したギャンブルが、995kgの好記録で優勝。
スーパーヘビー級は、カズマイヤーがワールド・ストロンゲストマン・コンテストで3連勝したものの、そのとき足を痛めてしまい今回は不参加。レンが大胸筋を痛めていたこともあって、ハワイのブービヤーが初優勝した。以下は2位までの記録である。
来月は、ワールド・ストロンゲストマン・コンテストのリポートをお届けする予定である。
クンハは[写真]、パワーリフティングを始めてやっと2年になろうかという新人であるが、身長は140cmに満たない小人で、その体型をうまく利用したスクワットとベンチ・プレスで、すでに世界トップ・レベルまで来ている選手である。対するダンバーは、今まで何回も世界選手権に出場しているベテランである。
試合は、クンハがスクワット237.5kg、ベンチ・プレス世界新の145kgと、ダンバーを22.5kgリードして最後のデッド・リフトを迎えた。ダンバーは、1回目167.5kgを失敗、2回目、この重量をやっと引き、クンハの出方を待った。クンハは、3回目に170kgを成功させトータル552.5kgとなり、その差25kgをつけ優勝したつもりで喜んでいたが、ここで信じられない事がおこった。
ダンバーは、同記録なら体重差で優勝できるのを見込んで、192.5kgに挑戦し、これを引いてしまったのである。彼のいままでのデッド・リフトの最高記録が170kg程度であったことを考えると、これはまさに火事場のバカ力であったようだ。
こうして2人共に552.5kgと、今年の全日本選手権での因幡選手の記録550kgを上まわったことを考えると、無敵を誇っていた因幡選手にもついに強敵があらわれ、11月の世界選手権では全く予断をゆるさなくなった。
他のクラスでの目立った記録としては、ふたたび56kg級へ落としてきたガントが、デッド・リフト290kg、トータル627.5kgを出しているのが目につく。60kg級ではブラッドレーが体重オーバーで失格したため、優勝したハンサーの記録は平凡600kg。67.5kg級は、クレインが1クラス上がったため、ロシグリオーネが700kgで優勝。そして、そのクレインは75kg級で780kgで優勝。このクラスで800kgをマークしているガーグラーは、昨年痛めた上腕二頭筋が回復せず今回は不参加。
82.5kg級ではブリッジスが出した記録がなんと995kg。彼のこの記録を上まわったのは125kg級とスーパーヘビー級の巨人たちだけだった事実を見れば、この記録のすごさがわかろうというもの。特にスクワットの380kgが光っている。
90kg級は常連トーマスが907.5kgで優勝。100kg級も昨年につづきキャッシュが940kgで優勝。このクラスのスクワットで400kgの世界記録をもつドクター・スクワット、ハットフィールドは、ベンチ・プレスで肩を痛めて失格してしまった。110kg級は、昨年優勝のウォルバーがインドでもらったマラリヤから回復せず不参加。かわってシュナイダーが935kgで優勝。125kg級は、今年のワールド・ストロンゲストマン・コンテストにも参加したギャンブルが、995kgの好記録で優勝。
スーパーヘビー級は、カズマイヤーがワールド・ストロンゲストマン・コンテストで3連勝したものの、そのとき足を痛めてしまい今回は不参加。レンが大胸筋を痛めていたこともあって、ハワイのブービヤーが初優勝した。以下は2位までの記録である。
来月は、ワールド・ストロンゲストマン・コンテストのリポートをお届けする予定である。
■日本パワーリフティング協会公認ジュニア日本最高記録表―昭和57年7月1日現在―
■東名アスレチック・センター、9月12日オープン
名古屋トレーニング用具研究所が、トレーニング器具の展示と販売を兼ねて、このほどモデル・トレーニング・ルームを東名高速の名古屋インター近くにオープンした。
このセンターには、名古屋トレーニング用具研究所が研究開発した新型トレーニング器具が約30種と、バーベル総重量2500kg、ダンベル30セットが用意され、男性・女性のボディビル、パワーリフティングを含む総合的ウェイト・トレーニングについて、初心者から上級者まで、各人の目的、体力等に応じた適切な幅広い指導を目指している。
スペースも142㎡(43坪)と広く、天井も4mと高くして解放感をもたせてあり、男女専用ロッカールーム、シャワールームなども完備している。
販売コーナーでは、小物のベルト、ニーバンテージ、スーパースーツ、プロテイン、ビタミン類などの販売から、器具の相談にも応じている。
このセンターには、名古屋トレーニング用具研究所が研究開発した新型トレーニング器具が約30種と、バーベル総重量2500kg、ダンベル30セットが用意され、男性・女性のボディビル、パワーリフティングを含む総合的ウェイト・トレーニングについて、初心者から上級者まで、各人の目的、体力等に応じた適切な幅広い指導を目指している。
スペースも142㎡(43坪)と広く、天井も4mと高くして解放感をもたせてあり、男女専用ロッカールーム、シャワールームなども完備している。
販売コーナーでは、小物のベルト、ニーバンテージ、スーパースーツ、プロテイン、ビタミン類などの販売から、器具の相談にも応じている。
[東名アスレティック・センターの内部]
■第11回ミスター姫路ボディビル・コンテスト、第1回ミス・ヘルス・ビューティーコンテストならびにミスター・アメリカン・ヘルス・クラブ・チャンピオンシップス
去る8月8日午後6時より手柄山文化センターにおいて第11回ミスター姫路ボディビル・コンテスト、ならびに本年度から開始した第1回ミス・ヘルス・ビューティーコンテスト、およびミスター・アメリカン・ヘルス・クラブ・チャンピオンシップスが開催された。大会当日は、あいにく1時間に70ミリという記録的豪雨にもかかわらず、ホール定員満席の500人の観客が集った。
また、グアム政庁の協賛により、グアムより16名のフラダンス、フライラー・ダンサー、歌手等が出演した。
まず最初に行われたミスター姫路コンテストの結果は、1位・東川秀史、2位・南秀樹、3位・高市小次郎の各選手が選ばれた。つづくミス・ヘルス・ビューティーの部は参加者が4名と少なかったので、順位はつけず、一番良かった田野和美選手に優秀賞を贈った。
また、アメリカン・ヘルス・クラブ姫路本部、福岡、川崎、グアムの4支部のジム代表選手によって争われた、アメリカン・ヘルス・クラブ・チャンピオンシップスでは、東海林徹選手がチャンピオンに選ばれた。
また、グアム政庁の協賛により、グアムより16名のフラダンス、フライラー・ダンサー、歌手等が出演した。
まず最初に行われたミスター姫路コンテストの結果は、1位・東川秀史、2位・南秀樹、3位・高市小次郎の各選手が選ばれた。つづくミス・ヘルス・ビューティーの部は参加者が4名と少なかったので、順位はつけず、一番良かった田野和美選手に優秀賞を贈った。
また、アメリカン・ヘルス・クラブ姫路本部、福岡、川崎、グアムの4支部のジム代表選手によって争われた、アメリカン・ヘルス・クラブ・チャンピオンシップスでは、東海林徹選手がチャンピオンに選ばれた。
[ミス・ミスター姫路コンテスト表彰式]
☆1982年度第18回アジア・ボディビル選手権大会採点表☆
[註]出場人員は1ヵ国5名以内という規定になっているが、日本の場合は、開催国であるため、特別10名の出場が許されたが、成績発表では、各クラスの上位の選手だけが残り、下位の選手は規定によりカットされている。
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