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やさしい科学百科 31
“酒飲みの健康学”〈その1〉

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月刊ボディビルディング1986年5月号
掲載日:2021.11.29
畠山晴行
 千葉県柏市のコミュニティー紙「かしわ市民タイムス」に、“酒飲みの健康学”というコラムを毎週連載しているが、今まで延べ何百通の読者の声が届いており、また議会が開催されている折、市議会議員の間でも話題になっているという。

 飲酒と健康について関心を持つ人があまりにも多いのに、筆者自身びっくりしているくらいである。

 そこで、同誌連載のものに、多少加筆してここに述べることにした。市民タイムスで、“酒飲みの健康学”を企画された小林淳一氏、およびスタッフの方々、イラスト担当の小倉愛美さんにご協力頂いたことを付記しておく。

〈1〉呑んべえ体質とは

 「イッキ、イッキ!」と、学生のみならず、若い人達の間でイッキ飲みが大流行しているが、これで命をとられた人もいる。

 急性アルコール中毒で、バタンキューじゃ泣くに泣けまい。

 ビールをグラス半分ほど飲んだだけで赤鬼の面にかわるような下戸に「イッキ飲み」を押しつけるのは酷というもの。

 一方、浴びるほど酒を飲んでも、ヘのカッパという御仁もいる。

 雄大な富士を描いた日本画の大家、故横山大観画伯は、手づくりの梅ぼしと豆腐、からすみなどを肴に飯のかわりに酒を飲んで晩年を過したという。

 下戸の学生に、呑んべえの先輩がこう言っていた。

 「酒に弱いのは根性が足りないんだ。毎日イッキ”をやれば強くなる!」と。

 確かに毎日酒を飲み続ければ、たとえ下戸でもそこそこ酒量をあげることができる。が、しかし先天的呑んべえのレベルには、とても達しない。

 “先天的呑んべえ”とか、“先天的下戸”という言葉は必ずしも適切とは言えないが、酒に強い体質と、そうでない体質があることは、今日、科学的にもはっきりわかっている。

 悪酔い、宿酔いの原因はいろいろあるが、その代表的な犯人は、アセトアルデヒドという物質。これは、体内でアルコールの分解によって生ずるのだが、さらに分解されれば酢酸となる。酢酸は活性化されてクレブス回路に入り、最後には水と炭酸ガスにまで分解される。

 悪酔いの犯人、アセトアルデヒドをさっさと酢酸に分解できる人と、そうでない体質があり、これはそれぞれの人の遺伝子に刻みこまれているのだ。

 アセトアルデヒドを酢酸に分解する酵素は大きく2つに分けられ、一方は次々に分解していくが、もうひとつはアセトアルデヒドの濃度があるレベルに達しないとうまく分解することができない。

 筆者がここで“呑んべえ体質”とした人は、両方の酵素がそろっている人で、“下戸体質”は前者の酵素をうまくつくれない人である。

 おもしろいことに、白人や黒人には“下戸体質”はいない。しかし、日本人を含め、黄色人種には多いという。研究報告によれば、いくぶん差はあるが、日本人では“下戸体質”はおよそ半数であるらしい。

 われわれ日本人にしてみれば、酒呑童子のような赤ら顔は酔っぱらいの看板みたいで皿をたたいてチャンチキオケサがよく似合うが、黄色人種よりももっと赤が目立つはずの白人では飲んですぐ赤ら顔になる人などいない。洋画をいくらさがしても、まっ赤な顔でヘべれけになっている役者など見つからないだろう。

 さて、実際、生まれつき酒に強い人と、そうでない人を比べたとき、果してどちらがアル中になりやすいだろうか?答は前者。筆者が“呑んべえ体質”という言葉を用いて説明してきた人達である。

 ただし、感ちがいしないでもらいたい。“体質”でアル中になるのではない。深酒しても苦痛を伴わない、酒が楽しい......だんだんと酒量をあげて酒無しにはいられないとか、大酒の連続で体に異常を生じてくる、ということなのである。

 だから、仮に“呑んべえ体質”であっても、調子に乗って連日酒に溺れなければアル中にはならない。

 ちなみに、日本のある病院のアル中患者を検査したところ、なんとその98%が、いわゆる“呑んべえ体質”であったという(毛根の検査でわかる)。

 欧米人にくらべて日本人にはアル中患者が少ないといわれるが、それは、約半数いるという“下戸体質”では、深酒による苦痛が深酒の長期間の連続を防いでくれているため、という見方もできる。

 だから、"下戸体質”の人は努力して深酒を続けないかぎりアル中にならない、と言えるかも。

 しかし、アル中に至らないまでも、飲み過ぎはできるだけさけてとおった方が賢明であることは、いまさらいうまでもない。
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〈2〉女性ホルモンとアルコール分解

 家庭の主婦の飲酒人口が増えるとともに、女性のアル中がマスコミの話題となっている。

 実際、台所でコップ酒をあおるわけでもなかろうが、“キッチンドリンカー”なる新語を最近、度々耳にする。

 家にひとり残され、ついついアルコールに手が伸びてしまうという心理はわからないでもないが、独酒の虚しさは、日を重ねる毎に、つい酒量をあげてしまう。

 その結果、“くれない族”のアル中という図式が、あちこちで見聞されることになる。

 こういったアル中に至る心理的なものは、誰にでもおよそ理解できると思うが、女性特有の生理的事情も考えなければなるまい。

 男など、へとも思わないような女流愛飲家がいないでもないが、一般に女性は男性にくらべて酒量が少ない。

 その理由は、酒を飲む機会が少ないという以外に、体内でのアルコールの分解、アセトアルデヒドの分解のスピードが女性ホルモンの多少に左右されるという興味ある事実が関係している。

 白人の女性を使った実験によれば、月経第1日目に比べて、24日目は血中のアルコール分解のスピードが明らかに低下するという。

 また、経口避妊薬を常用することによっても、アルコールの分解スピードが低下するという調査結果が得られている。

 前項に述べたとおり、白人のほとんどすべては、酒に強い体質であり、日本人では2人にひとりの割合で“下戸体質”がいることから、女性ホルモンの影響も、人によってかなり大きなものとなってあらわれるであろう。

 アルコールを分解してアセトアルデヒドにする酵素、さらにそれを分解して酢酸にする酵素、そのいずれもが女性ホルモンによって阻害されるというのだが、その日、その時の女性ホルモンの量を考えながら飲酒量を決めるなど、どだいムリな話である。

 酒の味を知り、酔いの快さに溺れ、呑んべえも板についてくると、すこしくらい体が不調でも、酒量を落とすことを忘れてしまう――こんなことも女性をアル中に引っぱり込む要因となっている。

 女性の場合、つい酒に呑まれてアル中に到達しないまでも、男性にくらべて深酒の連続が体に与える影響は大である。

 例えば“下戸体質”の女性が妊娠初期に深酒を続けたとしよう。彼女が妊娠に気付くまでのある期間、やはり、ホルモンの影響でアルコール、およびアセトアルデヒドの分解がのろくなっているのだから、胎児への悪影響、あるいは流産といったものの確率は高くならざるを得ない。

 もちろん、深酒でなければ、ほどほどの酒であればよいので、酒を毒と決めつけるのはマチガイではある。

 女性が虚しさにかられ、酒に呑まれることのないよう、気を配るのも男の優しさ、務めではないだろうか。

〈3〉“酒は百薬の長”の起源

 酒は“百薬の長”とも、“キチガイ水”ともいわれる。おもてむきは酒を飲まないことになっていた僧侶が、般若湯と称して飲酒した事実もある(般若はサンスクリット語からきており、「明確に識別する能力」とか「最高の真理の認識」などの意味を持つ)。

 孔子曰く、「酒無量、不及乱」。酒はいちいち量を気にして飲むことはないが、乱れるほどに飲むべきではない――紀元前5世紀の聖人の言葉は真理の的を衝いているように思う。

 さて、古来より伝承されている酒に関する言葉のなかでも、“百薬の長”ほど有名なものはなかろう。全ての薬の王様というほどの意味ではあるが、そもそもどういうことからきているかを筆者なりに追及してみたい。

 今からおよそ2000年前、前漢王朝を倒して新という国をたてた王莽が、塩や酒・鉄の専売制実施にあたってその理由を述べたなかに、百薬の長がでてくる。

 しかし、果してこれが病気の治療とか、日々の健康のための薬を指すものどうかは疑しい。

 歴代の権力者は何かにつけて酒宴を開いていた。『即効、すぐいい気分になる。酒は何にも勝る不可思議な薬』そんなところから、酒は夢をみさせてくれる、まことに便利な“薬”であった、とも考えられる。

 絶対の力を握った権力者が、最後に手にしたいものは不老不死であり、永久に力を保持していくことである。道教の道士が口走る神仙、不老不死の薬(もちろん虚妄)を本気になって追いかけた者は数知れない。

 紀元前のスーパースター、秦始皇帝はそのことでも後世に名を残しているし、老いてから絶世の美女、楊貴妃を強引に自分のものにしてしまった唐の皇帝、玄宗も幻の薬を求めたという。もし、そんなものが存在したとすれば百薬の長の比ではない。

 百薬の長は、「酔っぱらいのいい気分」から生まれ、今日まで長い時代を経てきたのであろう。とすれば、呑んベえがその言い訳に百薬の長を持ち出す姿は、おもしろくもあり、また悲しくもある。

〈4〉ストレス緩和剤と禁酒法

 歴史を辿ると、どうも百薬の長は、そもそも“酔い”からきたものらしいが、今日では適量飲酒の効用が認められてきている。その最先端は次号で詳しく述べるとして、“酔い”によるストレス緩和は昔も今も無視できない。

 人間はひとりでは生きていけない。社会のなかに身を置かなければならない宿命を背負っている。しかし、その社会が複雑になれば、ときとして逃げ出したい気持ちにかられることもあろう。また、集団の頂点に近づけば近づくほど、同胞は少なくなり、“独り”の虚しさに絶えず苦しめられる。

 酒は、この苦しい何ともしがたい葛藤から心を遠ざけてくれる。

 数ある症候群のなかでも、ストレスに係わるものは多い。生命の火を燃やし続けるためには、適度なストレスは必要だが、過度のストレスは炎を不安定にして健康を害する。

 まず誰でも、酒がストレス緩和剤となることは認めるだろうが、これが酒に溺れる引きがねになることも否定できない。

 だからか、ちかごろ「禁酒できないのは意志が弱いから」と、勝手に決めつけて、飲み過ぎによる弊害のみをことさら大きく言う人も増えているようだ。まるで酒を毒物扱いし、ふつうの食品に極く微量含まれているアルコール分にまで目くじらたてている人さえいる。

 世の中、何事も白黒つけられるものではない。馬鹿とハサミは使いよう、酒も適量であればよい。「あれはいけない」「これもダメ」、そして「自然がいい」とか「天然がいちばん」――訳がわからなくなってくる。

 かき氷を食べて腹を下した人がいても、かき氷は毒でも何でもない。餅がのどにつかえて、救急車を走らせた老人がいたとしても、人間の知恵により加工された餅を、誰も危険物とはみない。

 酒についても同じことである。適量。の飲酒であれば、何も大さわぎする必要などさらさらない。

 アメリカでは、1917年に、当時の道徳意識の高揚と婦人の参政で禁酒のムードが高まり、1920年から1933年まで禁酒法が施行された。しかし、これは完全に失敗に終っている。ルーズベルト大統領によってこの禁酒法が解かれるまで、酒類はアルカポネなどに代表されるギャングの資金源として密造、密売され、善良なアメリカ国民にはひとつとして益をもたらすことがなかった。

 これは、ストレス緩和剤としての酒を国民から無理にとりあげたため、かえって逆効果になったとも理解できる。

“ビールの泡”

 ビールと泡、これは切っても切れない関係です。でも、コーラやサイダーの泡はすぐ消えるのに、ビールの泡はしばらく残っています。これはなぜでしょう。

 それは、ビールに含まれるタンパク質のはたらきによるものです。

 大きなジョッキにつがれたビールは、泡の層によって“気”が抜けにくくなります。つまり「ビールのウマサは泡によって保たれる」というわけです。

 小さなグラスにつがれたビールだったら、すぐに飲めてしまうので、それほど泡を立てる必要もないでしょう。

 グラスを傾けて、静かにビールをつげば、それほど泡は立ちません。

 ところで、まだグラスに半分以上もビールが残っているのに、つぎ足しのサービスをする人がいますが、これは考えものです。

 だってそうでしょう。まだ半分も食べていないのに、その上から茶碗いっぱい山盛りにご飯をよそってくれる人などいません。

 それに、新しくつがれたビールは冷たいので、グラスに残ったビールとでは温度差があるため、新しいビールがグラスの下の方に、前のビールがグラスの上の方にきてしまいます。

 よく、あちこちのテーブルをまわって「どうぞ、どうぞ」と、強引につぎ足す人がいますが、中にはお酒にめっぽう弱い人もいますし、これはどうかと思います。

 大きなジョッキを傾けて、グッと飲む、これこそビールならではの醍醐美。トレーニングの後はビールに限るという人も多いようです。でも普通のグラスだったら、ナミナミでなく七分目くらいが味もよいし上品です。(美霜)
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