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1985年度ミス日本3位 大垣純子野選手にインタビュー
ミス日本を目標にフル・シーズン制

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月刊ボディビルディング1986年5月号
掲載日:2021.11.25
ききて=浦田浩行
1981ミス実業団健康美コンテスト4位

1981ミス実業団健康美コンテスト4位

1982ミス実業団健康美コンテスト6位

1982ミス実業団健康美コンテスト6位

 あれは確か5年前の1981年度ミス実業団健康美コンテストの時だった。それまでの日本の女性ビルダーには見られなかった筋肉質で、プロポーションがよく、エクゾチックな容姿とコスチュームで大いに注目を集めた選手がいた。結果は4位だったが、近い未来、我が国で本格的に女性のボディビル・コンテストが実施されるようになったら、必ず日本を代表するトップ・ビルダーになるに違いない、と私は思った。それが今や現実となった大垣純子選手である。
 ジャパン・チャンピオン・シップス2年連続優勝、ミス日本コンテストでも3位、2位、3位と第1回大会から連続表彰台に登っている。そしてさらに飛躍を目指す大垣純子選手は、去る3月30日、台北で行われたミス・アジア選手権でライト・クラスで優勝し、1986年度の花々しい船出を飾った。
 今回は、アジア選手権に向けて最後の追い込みに入った大垣純子選手を、3月19日、宇都宮市のマツモト・ジムに訪ね、松本宏夫会長を交えて、彼女のボディビルとの出会い、食事法、トレーニング法、今後の抱背負などについて聞いてみた。なお、大垣純子選手の職業は、このマツモトジムでエアロビクス、ジャズダンス、大極拳などを教えるインストラクターである。

〔大垣選手のコンテスト歴〕

 1981年 ミス実業団健康美コンテスト4位
 1982年 ミス実業団健康美コンテスト6位
 1983年 ミス栃木コンテスト優勝
  〃 ミス日本コンテスト3位
 1984年 ジャパン・チャンピオンシップス優勝
  〃 ミス日本コンテスト2位
 1985年 ハワイ・インターナショナル選手権5位
  〃 ジャパン・チャンピオンシップス優勝
  〃 ミス日本コンテスト3位

◎気が小さく、人見知りする内向的性格

――大垣さんといえば、すでに日本のボディビル界では知らない人はいないんですけど、大垣さんの内面的なものに関してはヴェールに包まれた状態で、知っている人はあまりいないように思えるんですが。

大垣 気が小さいんですよ。他の選手とか審査員ともあまり話したことないですよね。

松本 人見知りするんですよ。どうも、彼女の性格は顔で判断されがちなんです(笑)。私としては、いろいろな人と話をして勉強して欲しいと思っているんです。

――現在の職業はジムのコーチだと聞いていますが。

大垣 私の場合は、ボディビルのコーチではなくて、ジャズダンスとか大極拳、ヨーガのインストラクター専門なんです。ボディビルに関しては個人的にやっていて松本会長に指導してもらっています。

松本 うちのインストラクターには強制的にボディビル・トレーニングをやらせています。なぜかというと、ウェイトを使ったボディビルのトレーニングで基礎体力を養成することが、ジャズダンスとかヨーガなど、すべての運動の基本だと思っていますから。

――このジムへ来る前はどんな仕事をしてたんですか。

大垣 幼稚園の先生を1年間ぐらいやっていて、その後編み物の学校へ通っていました。

松本 彼女は編み物の全国コンクールで金賞を受賞したこともあるんです。そういう繊細な神経を持っている反面、ジャズダンスとかヨーガ、大極拳、エアロビクスなど、スポーツは何をやらせても一流といっていいですね。

大垣 何事にもコツコツやっていくのが私は好きなんですね。中途半端にすることがいやなんです。だから、やりはじめたらトコトンまでしないと気がすまないんです。

――どういうきっかけで、このジムのインストラクターになったんですか。

大垣 私が22歳の頃、ここの生徒として来ていたんですが、しばらくして松本会長から、ぜひうちのインストラクターとして働いてくれないかと言われたのがきっかけでした。それからずっと今日まで。

松本 私が彼女に最初に声をかけたのは、うちの家内が経営しているスナックなんです。変った感じの娘だなあと思って、うちのジムに通わないかと誘ったんです。その時は、本当に来るとは思いませんでした。でも今ではインストラクターの中でも一番ベテランですし、それに彼女がうちの後輩のインストラクターに与えている影響も大きいですね。

――学生時代はどんなスポーツをやっていたんですか。

大垣 中学生の時は、体育の授業のサッカーやラグビーを男の子と一緒にやっていたし、その他、バレーボール、バスケットボール、体操など、スポーツと名のつくものは何でもやっていました。下半身が逞しくなってきたのはその頃からだったと思います。高校、大学時代は何もやっていませんでした。

松本 彼女がうちのジムへ初めて来た時は、下半身ばっかり太くて、上半身との釣り合いが全くとれていませんでした。それに今と違って、全体的にもっとポチャポチャとしてたんですよ。

――そんなにスポーツが好きなのに、高校、大学時代はどうしてスポーツをやらなかったんですか。

大垣 実は、中学時代にスポーツに熱中しすぎて、自分の希望していた高校に入ることが出来なかったんです。それで両親から運動クラブに入ることを止められたんです。大学も私自身は体育系の大学に行きたかったんですが、これも両親に反対されて、結局、普通の短大にしたんです。
記事画像3

◎悔し泣きした第1回ミス日本コンテスト

――コンテストに出場しはじめたきっかけを教えてください。

松本 はじめてコンテストに出たのは1981年ですが、その頃のミス実業団のレベルを見ても、うちの大垣のほうがずっといいと思って出場させたんです。しかし、結果は4位という無残なものでしたが、マッスルでは誰にも負けていなかったことも事実だったわけです。それからボディビルに本腰を入れるようになったんです。

大垣 いま、実業団がかなり叩かれていますが、現在、ボディビル界に私がいるのは、やはり実業団連盟のおかげなんでしょうね。

――さらに翌年のミス実業団大会では2つ下がって6位という結果でしたが。

大垣 マッスルはダメだと、はっきり言われたんです。

松本 私は審査員に『ボディビルという名前のついた団体が実施しているコンテストとしては、おかしいんじゃないか』と言ったんですが、結局、マッスルは拒否される形となり、6位まで落ちたんです。その翌年からミス実業団には出場していません。

大垣 私の気持としても、努力の報われないような大会には出場したくありませんでしたからね。

――大垣さんにとって一番印象に残っているコンテストはなんですか。

大垣 なんと言っても第1回ミス日本ですね。あの時は絶対にできないだろうと思っていた禁煙を6ヵ月前からやったし、それに、仕事のほうも、私のスケジュールをあけてもらったので、その分、他のインストラクターの人達に負担がかかってしまったんです。そのためにも、絶対に優勝しなければならないという気持でコンテストに臨んだんですが、3位という結果に終り、もう悔しくて泣かずにはいられませんでした。

松本 私自身、印象深かったのは、昨年のハワイ・インターナショナル選手権ですね。中尾さん、北沢さんの2人のミス日本チャンピオンと彼女が出たクラスで、彼女だけが5位に入賞した時はうれしかったですね。

――昨年のミス日本を振り返ってみて感想を聞かせてください。

大垣『あー、たち打ちできないなあ』と思いました。もうプレジャッジの時点で勝負は見えてましたから。私自身の体調としては、一昨年の第2回大会では絞りすぎてしまったので、昨年は大きさを残していこうと思い、ほとんどダイエットをしなかったんです。結果として大きさは残ったと思いましたが、カットが不十分だと言われた点は否めませんね。

松本 本当は北沢さんをマークしてたんです。つまり、北沢さんの大きさに対抗しようと思って1年間やってきたわけなんです。ところが、いざふたを開けてみると、北沢さん以上と思われる安藤さんと飯島さんが出場していて驚いてしまいました。

大垣 とにかく情報が少ないんですよ。東京のジムだといろいろな情報がたくさん入ってきて、それなりに対処の仕方もあるんですけどね。

松本 彼女には、いろいろなジムへ行って勉強したり、刺激を受けたりしてもらいたいんですが、現実の問題として、うちの過酷な勤務体制ではちょっと無理なんです。うちのレッスンの殆どが彼女に頼っている状態で、うちには無くてはならない存在なんですから。

――会長は昨年のミス日本コンテストを見て、過去2回の大会と違った印象を受けましたか。

松本 昨年の大会では、何人かの選手がホルモン剤を使っているんじゃないかというウワサがあったでしょう。その点について佐野さん(JBBF審査委員会委員長)が私に言ったんです――『もし、そうであっても、現実として上回っているんだから、負けは負けだ』と。

 もし、ホルモン剤を使っている人がいたとすれば、その人は勝ちたいという執念に負けたんじゃないかと思います。でも、ほんの一瞬の名誉のために、その人達が命をかけてまでやっているという点も見逃せないんじゃないでしょうか。

 もちろん私としてはホルモン剤の使用には絶対に反対ですし、彼女もまたしかりです。

大垣 今年からは日本でもドーピング・チェックを行うそうですが、もし陽性の選手が出た場合は、その選手個人だけの問題にとどまらず、ボディビルそのものが批判されますからね。

松本 うちのジムにも何人かコンテスト・ビルダーがいますが、ドーピング・チェックなんて恐いことはないですよ。逆に彼女が優勝できるチャンスがあるんですから。
1983ミス日本コンテスト3位

1983ミス日本コンテスト3位

1984ミス日本コンテスト2位

1984ミス日本コンテスト2位

◎今年のコンテスト対策

――いよいよコンテスト・シーズンが近づいてきましたが、特に今年はこの部分を重点的にトレーニングしようというようなところがありますか。

大垣 私自身、たいへん神経質な面がありますから、スケジュールの順序や種目を変えたりしてトレーニングするのが嫌いなんです。だから、コンテストが近づいたからといって内容を変えたりはしないんです。大げさに言えば、1年中、同じ種目を同じセット数でやっているんです。

――他の人のトレーニングなどを参考にしたりしないんですか。

大垣 聞いたり、読んだりしていますが、それを真似して実行してみようと思ったことはありません。なぜなら、現在のやり方が自分には一番いいと思っていますから。

松本 その神経質と、思い込みが優勝を遠くしているのかも知れないですね。だから、もっと社交的になって審査員などのアドバイスを率直に聞いたりすれば参考になるし、次のコンテストでは注目して見てくれると思うんですよ。現在の彼女にとっては、それがトレーニング以上に大切なことだとも言えますね。

――食事面での対策はいかがですか。今月末に行われるミス・アジア選手権にも出場されるそうですが。

大垣 あくまでも焦点はミス日本コンテストに置いているので、アジア選手権に向けた特別の対策といったものはありません。昨年のミス日本ではカットが甘かったので、今年はもっと考えた食事法を採っていきたいと思っています。

――普段の食事内容はどのようになっているんですか。

大垣 普段もコンテスト前もあまり変わりません。そして、肉類より魚のほうを好んで食べています。脂肪が付きそうな食べものは日頃から食べないように心掛けているんですけど、それほど神経質には考えていませんね。あとは、なるべく薄味で食べるようにしています。コンテスト前にご飯を抜くということもありませんしね。だから私の場合、食事法といっても、ボディビルを始める以前からの食事法と殆ど変わっていないんです。

松本 とにかく彼女の薄味は極端に薄すぎて、普通の人ではとても食べられませんよ。もともと、そういった味付けが好きなんでしょうね。それに、これ以上、彼女の食事法を聞いても、結局、それは誰もが知っているごく一般的な方法でしかないわけです。
大垣選手がインストラクターとして働いている宇都宮市のボディビル・マツモトジム

大垣選手がインストラクターとして働いている宇都宮市のボディビル・マツモトジム

ジムの前で。左が松本宏夫会長

ジムの前で。左が松本宏夫会長

◎トレーニングはフル・シーズン制

――大垣さんのトレーニングは、かなりハードだと聞いていますが。

松本 彼女のトレーニングには盆も正月もなくて、他のビルダーのようにオフ・シーズンというものがないんです。つまりフル・シーズン制というわけです。その結果として、1年中、臨戦態勢の体調でいられるのだと思います。

大垣 先程も話したように、決められたスケジュールをキチッと同じ時間にやるのが好きなんです。日曜日以外に休みをとったりとか、スケジュールを変えたりすると、なんとなく気持がスッキリしないんですよね。

松本 彼女の場合、はっきり言ってもう異常なくらい神経質なんです。例えば、彼女がトレーニングするときのバック・ミュージックはクラシックと決めてるんです。それを他の人が変えようものなら露骨にいやな顔をするんです。それに彼女がトレーニングしているそばで、他の人がハーハー言いながらトレーニングすると怒るんですよ。酸素が薄くなると言って(笑)。

大垣 神経質で自己中心的な性格は自分でも認めていますから。

松本 私がこのインタビューに同席したのは、こういう性格だから何を言いだすかわからないし、誤解があってはいけないと思ったからなんですよ(笑)。

――1年中、フルにトレーニングして、精神的、肉体的に参ってきませんか。

大垣 正直言って、何のために生きているんだろうと考えてしまうこともときどきあります。だから、コンテストで優勝するということに価値を見出してやっていかないと、とても続けていけないと思います。

――コンテストで優勝するというのは、つまりミス日本で優勝するということですね。

大垣 そうです。オールジャパン・チャンピオンシップスでは2年連続優勝しましたが、今はミス日本優勝1本にしぼっています。そういう目標をもってやっていかないと、この道は一体どこまで続く道なんだろうかなんて、先の事が不安になることもあるんですよ。

松本 もし彼女が、昨年のミス日本で優勝していたら引退するはずだったんですよ。やはりフル・シーズン制でハード・トレーニングを続けていれば、時には肩や肘、腰などが痛むこともあるんです。そんな時は針治療などでなんとか痛みを止めてはきたんですけど......。だからぜひ今年はミス日本で優勝して、引退、そして早く結婚させてやりたいんです。でも、これは彼女自身のけじめの問題だと思います。

大垣 それと、たとえ優勝できなくても、表彰台から遠ざかってしまった時は、引退するしかないでしょうね。これだけトレーニングを積んで3位にも入れなくなったら、限界とみるしかないでしょうね。

 しかし、男性のボディビルから見れば、私達のやっていることなど、まだまだ全然甘いということはよくわかっているんですけど......。

――最後にお伺いいたしますが、これからの女性のコンテストは、どんな方向に進んでいったほうがいいとお考えですか。

松本 ボディビルと銘打っている以上、マッスルを追っていくべきだと思います。女性のボディビルにオールマイティ的なものを求めるのは思い上がりで、ボディビル・コンテストなら、あくまでマッスル優先でなければならないと思います。

 例えば、ミス着物の女王は、着物を着たときに一番美しい人を選ぶわけで、ボディビルの場合も当然同じことが言えると思うんです。それを、マッスルはダメとか言ってること事態、物事の本質を理解していない人のうぬぼれですよ。

大垣 私もその方向に進むのが当然だと思います。日頃のウェイト・トレーニングの努力が報われてこそ、本当のボディビル・コンテストが成りたっていくのだと思います。

――今日は、アジア選手権直前のお忙しい中、取材に協力していただき、ほんとうにありがとうございました。今後のご健闘をお祈りします。
1985ミス日本コンテスト3位

1985ミス日本コンテスト3位

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月刊ボディビルディング1986年5月号

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