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日本ボディビル界の組織一本化に向けて大きく一歩前進
<JBBA声明書と解説>

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月刊ボディビルディング1981年10月号
掲載日:2020.07.06

声明書

日本ボディビル協会と、IFBB世界会長ヴェン・ウイダー氏より日本に於けるIFBB組織の全権を委任されている松山令子女史との間で、日本ボディビル界の発展のために、下記の如き合意に達した。
1.日本ボディビル協会は、松山令子女史を副会長として受け入れ、松山令子女史と行動を共にするIFBBジャパンの組織と合体して新組織を設立する。

2.新組織の名称は日本ボディビル連盟(JBBF)とする。

3.日本ボディビル連盟はIFBBに加盟する。

昭和56年8月30日
日本ボディビル協会会長 八田 一郎

<解説>……JBBA副会長・玉利 斉

約10年間分裂して対立していた日本ボディビル協会とIFBBジャパンが、8月30日をもって事実上、一本化に成功した。
両組織の一本化は、選手はもちろん、日本全国のボディビル関係者、ならびに愛好者の永年の願望だった。何故ならば、一本化が実現すれば、

1.日本のボディビル界での対立や摩擦がなくなる。

2.実力さえあれば、選手は、NABBAにもIFBBでも、どちらのコンテストにも自由に出場できる。

3.一本化した日本のボディビル界は、より強力に国際的な進出が可能になり、国際的評価が高まる。

4.一本化することにより、社会的にもボディビルの信頼が高まり、行政レベルやマスコミ等の関係が容易になり、発展に資する。

5.他のスポーツ団体(例えば日本体育協会等)とも交流しやすくなる。

ちょっと考えても、このように、日本ボディビル界にとっていくつかのプラス面はあるが、一本化によってマイナスになることは全く考えられない。
しかし、2つに分かれていた組織が1つになるのだから、当然、それにともなう様々な配慮が必要になるだろう。大切なことは、JBBAが如何に歴史の永さと、組織の大きさがあろうとも、やはりIFBBジャパンの実績と努力を尊重し、あくまでもスポーツマン・シップに徹して、対等の礼を失なわずに、新組織設立の実務処理を推進することである。
このことは、8月30日、一本化を決意したJBBAの臨時全国総会でも確認され、10月31日に東京で開催されるJBBA全国総会には、新組織JBBFの設立に参加するIFBBジャパンの旧役員は議決権を持って総会に参加できることを決定した。
そして、今年一杯は、諸々の組織の調整を中心に動き、本格的にJBBFの組織が確立して活動を開始するのは、来年度からになるのは止むを得ないだろう。それまでは両組織は互いに実状を理解し、温かい目をもって柔軟に対応していかねばならない。
さて、新組織JBBFの1982年度の大仕事はミスター・アジア・コンテスト(アジア・ボディビル選手権)の開催である。これまでIFBB傘下のアジア・ボディビル連盟が、毎年、各国持ち回りでミスター・アジア・コンテストを開催してきたが、残念ながら日本ではまだ一度も開催されていない。今や経済大国として、アジア各国に経済援助をする日本が、ボディビルに関しては最小限の義務さえ果していなかったといえるだろう。そこで、本年9月上旬、マレーシアで開催されたミスター・アジア・コンテストに役員・選手を派遣すると共に、1982年度ミスター・アジア・コンテストの東京開催を正式に申し入れた。
ふりかえってみると、この両組織の”歩みよりドラマ”の暮明けは、何と言っても、去る5月にハワイで行われたIFBB系のミスター・パシフィック・コンテストに、様々な困難がありながらそれを乗り越えて参加したJBBA側の熱意と、永年、IFBB日本総局の代表を務め、IFBB世界会長ヴェン・ウイダー氏の絶対的信頼を得てIFBB内に大きな発言力を持っている松山令子女史が、過去のいきさつにとらわれぬ大局的見地からの英断にふみ切ったことにあったと言えるだろう。
八田一郎JBBA会長は、アマ・レスリング協会の会長として、日本のアマレスを世界一流に育てあげたことで有名であるが、その八田会長が、昭和6年に、日本に初めてアマ・レスリング協会を創立した当時、八田会長の柔道の恩師であった講道館柔道の創始者、嘉納治五郎先生から「八田君それを育てあげるのには50年かかるよ」と言われたという話を聞いたが、我々が初めて日本にボディビル協会を設立したのが昭和29年であるから、今年で27年、50年にはまだ程遠い。
しかし、幾変遷を経ながらも、今ここに、ボディビル界の大同団結の旗印を高く掲げることができたことはまことに喜ばしい。全国のボディビル関係者が手をとり合って、さらに国民に愛されるボディビルへと限りない前進を続けたい。
月刊ボディビルディング1981年10月号

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