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やさしい科学百科
カロリーとエネルギーの話<1>

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月刊ボディビルディング1983年8月号
掲載日:2020.11.09
畠山晴行
 6月号まで、4ヵ月にわたり減量について連載させていただきました。下手な文章で、わかりにくいところが多々あったことのおわびと、シリーズを通読の上、ご意見をくださった方々、並びに、今までいろいろご指導いただいた健康体力研究所の野沢秀雄氏をはじめ、多くの先生方に誌上をお借りしてお礼申し上げます。
 素人ではありますが、減量という問題に対して、理論的、総合的にアプローチしたつもりです。医学、栄養学の専門家の方々からのお誉めもいただ著者として喜びにたえません。

<1>誤った知識が諸悪の根源

 さて、最近は健康ブームということで「からだにいい」といわれるものは星の数ほどです。どこのデパートに行っても、必ず健康食品売場はあるし、書店に行けば、健康に関する本だけでも何十冊、大きな書店では、それこそ何百冊もならべられています。
 そのために、かえって情報の海におぼれてしまって、右往左往している人が大勢いるようです
 “科学的”だとか“医学的”だとかいう言葉を前面に押し立てて、肩書きの立派な人の説くことが、必ずしも正しいというわけでもなく、中には、全く同じことが、書く人によって相反するように説明されていることもしばしばあります。
 そこで、自分で判断する力が必要になってきます。
「ビタミンC健康法」「ビタミンE健康法」(共に講談社)など、数多くの健康に関する本を書いておられる三石巌理博は「この本を読めないような人に健康を語る資格はない」という言葉を、よく著書の中に記しております。
 氏はもともと物理学者ですが「20年前(60才のとき)白内障にかかり、それを治すために、栄養に関する勉強をしだした」と語ってくれました。
 三石氏の著書ばかりでなく、最近は一般向けの健康書の中にも、理論的にアプローチしたものが増えてきたのが目立ちます。(中にはつじつまの合わない、おかしな説をふりまわすもありますが.........)
 理論的とはいえ、これに“完全★パーフェクト★”を求めるのは無理です。しかし、こういった本を読みこなし、そこから自分なりの考えを体系づけていけば、断片的な情報におどらされることなく、自分自身の知識と努力で健康度を増すことが可能でしょう。
 中山光義医博(元東京都保険所長、現在、養老院診療所長)は次のように語っております。
「ともかく誤った知識が諸悪の根源だと言えます。あちこちから講演を依頼されたり、毎週、ノンエイジ(註:新宿の健康食品店)で健康相談を受けていますが、デタラメな説をふきこまれて、自分で病気をつくっている人が多いとも言えるでしょう。科学的知識をもっていれば、他人に依存しなくても自分自身で解決できるものを......
 中山氏は“分づき米健康法”を説いていますが「ともかくいろいろな食物から十分な栄養を摂らなければならない」とも言っております。玄米一辺倒ではない氏の指導により、町田市の養老院では、98才になる老人までピンピンしていて、昨年も死亡者は皆無だったということです。
 そんなわけで、今月からは科学(こと健康に限らず)の糸をやさしくたぐっていくことにしたいと思います。

<2>腹がへっては戦ができぬ

 腹ペコでは、なかなか力が入りません。しばしば「カロリーは、からだのなかでもえる」という表現が使われますが、食物の中に含まれる“カロリー”は力のもとです。
“カロリー計算”“低カロリー食”など、よく耳にする言葉ですが、これが一般的に使われ出したのは、昭和40年の半ば頃。「ミコのカロリーBook」、(集団形星、著者代表・弘田三枝子)以来でしょう。当時としては大きな発き見でしたが、以後、太り過ぎを気にする人や、若い女性にとって“カロリー”はまるで「食物に宿る悪魔」みたいに思われてきたようです。.
「カロリーさえとらなければ、美しく。なれる」という浅はかな考えをもつ人は、いまだ少なくありません。私はこれを“カロリーの悪魔概念”と名づけております。
“カロリー”と言われているものは、力のもとというだけでなく、生きるたおめ、生命を維持するためには、なくてはならないものです。人間に限らず、ブタでも、タンポポでも、バイキンで同じです。
 昭和27年以来「鉄脚アトム」(手塚。治虫氏)は、10万馬力のエネルギーで悪者をやっつけてきましたが、時々おなかのフタを開けて“エネルギー”の供給をしているシーンがあります。
(註:正確にはエネルギーの単位は馬力×時間)
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“エネルギー供給”は、私たちの食事にあたります。そして“エネルギー”が“カロリー”に相当します。
 ガソリンが空っぽになった自動車は動きません。ガソリンはエネルギーのかたまりみたいなものですから、自動車も「腹がへっては戦ができない」ということになります。
 ところで、科学技術庁からでている食品成分表をはじめとして、最近では栄養、食物の分野でも“カロリー”の代りに“エネルギー”という言葉を使う場合が多く見うけられ、なれない人達に混乱を与えているようですが、これは同じものと思ってさしつかえないでしょう。
 低カロリー食、高カロリー食という場合には、同じ量(重さ、ふつう100g)でエネルギーが低いか高いかを言っているわけです。

<3>オー・ソレ・ミオ(わがいとしの太陽)

 エネルギーという言葉は、昭和48年第1次オイルショック以来、日常語としてひんぱんに使われるようになりましたが、省エネルギーの“エネルギー”も、食品の“エネルギー”も、その本質に変わりありません。ただ、食品のもつエネルギーの大きさを示す場合には、からだの中で利用できる値を示すので、繊維質やタンパク質の中のチッ素の部分などは計算に入れません。
 エネルギーについて詳しく書けば、それだけで何冊もの本になってしまいますので、ここでは、必要なことだけを簡単に記したいと思います。
 中学校の理科では「エネルギーは仕事をすることのできる能力」と教えています。ここでいう仕事とは、柴刈りや洗濯、事務などという意味ではありません。
「物に力が働いて動いた場合、カは物に仕事をした」といいます。だから、バーベルを持ち上げた場合も、リアカーを引いで動かした場合も、仕事をしたことになります。
「仕事の大きさは、カ×動いた距離」です。つまり、50kgのバーベルを1m持ち上げるのも、100kgのバーベルを50cm持ち上げるのも、仕事としては同じですから、必要なエネルギーも同じということになります。
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 前項で、われわれのもつエネルギーは食事に由来することを記しましたがもともとはどこにあったのかを考えてみたいと思います。
 ビフテキのもつエネルギーのもとは牛のエサにあったはずです。魚はもっと小さな魚やプランクトンなどをエネルギー源にしております。そうやってエサが何であったかを追いかけていくと、最終的には、どんなものでも植物にたどりつきます。(食物連鎖)
 では、その植物は必要なエネルギーを何から得ているかといいますと、お天道様、すなわち太陽です。
 聖書には「はじめに光ありき」と書かれております。太陽は、直径が地球の150倍ぐらいもある水素とヘリウムの球です。そして、ここでは水爆と同じ化学反応(核融合)が行われていてこのときできるガンマ線が、X線、紫外線、光(可視光線)、熱(赤外線)などの電磁波エネルギーとなって宇宙空間に放射されます。また、電子や陽子のつぶも飛び散ります。
 太陽熱利用のソーラーシステム温水器や、太陽電池などは、太陽からのエネルギーを生活に利用できるエネルギーに変えるためのものです。
 葉緑素をもつ地球上の植物は、太陽の光のエネルギーを使って、炭酸ガスと水から、エネルギーを抱えた有機物をつくり出します。これを光合成★こうごうせい★といいます。そして、植物はこのとき酸素をはき出します。
 光合成は、葉緑素をもつ植物以外は行うことができませんが、逆に、エネルギーを抱えた物質を分解してエネルギーを取り出すことは、すべての生物が行なっております。このときには酸素が必要で、これを呼吸といいます。
 光合成でつくられた有機物は、分解されればもとの炭酸ガスと水にもどります。ですから、余分な皮下脂肪は、「分解されて消えてしまう」のではなく、姿を変えてからだから出ていくことがわかるでしょう。エネルギーの使い道がなければ、このようなことは起こりません。
 ところで、このような生命現象のみならず、風も雨も太陽のエネルギーによるものですし、石油や石炭は、大昔の植物が太陽の恵みのエネルギーをパックしていたものなのです。

<4>エネルギーは忍者?

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 わたしたちは、太陽から送られた光のエネルギーを、間接的にいろいろな目的で使っているわけですが、食物に含まれるエネルギーは、60兆ともいわれる細胞のひとつひとつの中でとり出されて使われます。飛んだり、はねたり体温を維持することも、このエネルギーによるものなのです。
 また、燃料(マキ、石炭、石油、ガス)のエネルギーで、暖房したり、お湯をわかしたり、機械を動かしたり、化学エネルギー焼芋を焼いたりします。
 さて、飛んだり、はねたりは、前にも書いたように、力が働いて動くわけですから「仕事をする」ということになります。お湯がわけば、ヤカンのフタがカタカタ音をたてて動きますからこれも仕事です。
 SLは石炭の抱えるエネルギーで、お湯を沸かして蒸気をつくり、その蒸気の力で走りますから、これも仕事です。蒸気の力でタービンを回して発電気で電気をつくることもできます(火力発電の原理)。その電気で電車が走ります。水力発電の場合は、高いところから低いところへ水が流れ落ちることを利用して発電機を回します。
 このように、エネルギーはいろいろに姿を変えることができます。物質が抱えているエネルギーを化学エネルギー、電気の場合は電気エネルギー、熱は熱エネルギー、水力発電のように位置によるものを位置エネルギーと呼んだりします。
 そして、どのように変化しようともエネルギーの量は変わりません。これをエネルギー保存の法則といいます。

<5>カロリーとエネルギー

 中学校では、水1gの温度を1°C上昇させるのに必要な熱量を1カロリー(cal)と習いました。
 注意したいのは、従来、食物や栄養で1カロリーと表わしてきた値は、上記の1カロリー(cal)の1000倍のことで、Cal(Cが大文字になる)と表わします。最近ではkcalという書き方よく用いられますので、下記の関係をよくおぼえておいてください。
 1,000cal=lCal=1kcal
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 さて、熱量という言葉がでてきましたが、これは温度とはちがいます。
 ヤカンのお湯はすぐ沸きますが、風呂の湯を沸かすには時間もかかりますし、燃料(エネルギー)もたくさん必要でしょう。100gの焼芋と300gの焼羊ではホッカホッカの度合い(温度)は同じでも、全体としては300gの方が熱をたくさんもっていることになるのです。
 ところで、1kcal(Cal)のエネルギーが使われた場合、機械的には430kgのバーベルを1m持ち上げることができます(ただし、これはエネルギーが機械エネルギーに完全に変換された場合の数字であって、現実にはロスがでます)。
 脂肪1gで9kcalのエネルギーがありますが、脂肪細胞の中には水分も含まれておりますので、それを差し引くと、1gあたり7kcal程度になりますが、これをまともに使えばかなりの運動ができることになります。
 しかし、運動時には体温が上昇するし、発汗が伴います。つまり、このように熱の形で大量にエネルギーを放出していることになります。これは、高熱の病人が短期間でやせ細っていくことからも理解できるでしょう。
 機械的に変換された運動エネルギーも、おそかれ早かれ熱に姿を変え、そしてこの熱は四方八方に散って、使いものにならなくなってしまいます。これはちょうど穴のあいたバケツから水が漏れるようなものです。漏れた水はもう使いものになりません。
 このように、物質もエネルギーも、だんだん使いものにならなくなるわけですが、この度合、デタラメに散っていく度合を“エントロピー”といいます。地球に届いた太陽のエネルギーは、また宇宙へと旅立ちますが、エントロピーを増しながら、どんどん遠くへ散らばっていく運命にあるのです。
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 さて、運動をすれば汗が出ますし、ふだんでも常に体表面から水分は蒸発(不感蒸泄)しております。これは主に体温調節を目的としているのです。
(水1kgの蒸発で539kcalの熱をうばう)
 すでに皆さんもお気づきのとおり、これはエネルギーの体外放出であり、エントロピーの増大なのです。暑い夏の日に打ち水をして涼を求めるのもこれと同じです。湿度が高いと暑くるしく感じるのは、体表面から水分が蒸発しにくいことに関係しております。
 では最後に、いくつかの例をとってエネルギーの大ざっぱな参考値をあげてみましょう。
・マッチ1本を燃やしたとき 1kcal
・ごはん1杯で160kcal(マッチ小箱8個分)
・1時間のジョギングは500kcal(ごはん3杯)
・すき焼き1人前(ロース150g) 1000kcal(ジョギング2時間)
・60W蛍光灯20時間点灯 1200kcal(すき焼き大盛)
・石油かん1本の灯油 200,000kcal(2ヵ月の食料)
 次号は、入浴とエネルギーの関係、栄養とエネルギーについて、日常生活における省エネルギーなど、エネルギーシリーズ第二弾をお届けします。
月刊ボディビルディング1983年8月号

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