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☆第4回女子世界パワーリフティング選手権大会報告☆
国弘,1階級落として3位入賞
重量級選手の筋肉は男性ビルダーなみ
<5月7日・8日オーストラリア・アデレード>

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月刊ボディビルディング1983年8月号
掲載日:2020.11.05

入賞を狙って2日半で4.5kgの減量

……56kg級3位・国弘梅代……
 プラタナスの落葉がカサカサと音を立てて舞い、ゼラニュームやカンナの花が咲き乱れる晩秋のアデレードは、レンガ造りの家々までがお伽話の舞台のようで、まるで町全体が公園の中に造られたといった感じの、美しい所だった。
 ホテルに行く途中、すれ違う車の2~3台に1台は日本車だったが、街路樹のユーカリといい、人を恐れず川岸で遊ぶ野鳥の群れといい、多種多様の教会が見え隠れしている町並みといい、正にここは夢の楽園オーストラリアだ。私はこの雄大な自然の中で、歌う詩人のような気分に浸っていた。ここで、各国の女性が力比べをするなんておよそ不似合いな場所に映ったからである。
 ところが、宿舎のオベロイ・アデレード・ホテルに到着した途端に、私のうわついた気持は、一気に現実に引き戻されてしまった。
 ホテルの玄関前で、仁王立ちになって私達をじっと睨んでいる青い目!どこの国の何という名前の選手なのかは最後まで判らなかったけれど、その眼光の鋭さと、あまりに堂々とした態度に、私はゾッとした。もうすでに試合は始まっているのだ。それにしても、外人選手ってのは、ホリが深くて、凄むと迫力あること!
 各自それぞれ部屋へ荷物を運ぶ。長旅の疲れはさほどないが、ウェイトが気になる。なにしろ、前日から夜通しずっと座ったきりで、運ばれてくる機内食をほとんど平らげたのだから、それこそ、人間版北京ダックになっちゃっている。ウェイト・オーバーは火を見るより明らかなのだ。
 今井さんも、吉田さんも、渡辺さんも同じ事で、やはりウェイトを心配しているらしい。そこで、さっそく一階のトレーニング・ルームへ直行し、体重計に乗る。だが、何と不思議な事だろう。59.4kgしかないのだ。自称、図太い神経の私だけが規定の体重を割っているとは......。
 ここで私は、2つの選択を迫られることになった。つまり、予定どおり60kg級で出場して自己最高記録を狙うかそれとも1階級下の56kg級で確実に入賞を狙うかのどちらかである。
 自己最高なら日本でも狙える。ここは世界大会の舞台なのだ!私は是が非でも入賞したいと思った。ただ、2日半という短期間で3.4kgもの減量ができるかどうか、それだけが唯一の問題だった。
 関団長に報告すると「面白いネ」の声。さっそくレポート用紙に細々と数字を書き込んでいた団長は、「この通りに落としていけば必ず減量できる」と断言された。こうして、関団長以下全員の励ましを受けて私の減量作戦は始まったのである。
 その晩(5月4日)、減量前の最後の食事をした。肉と野菜以外全く手をつけなかったが、それでも、食事後の体重は60.4kgに増えていた。4.5kgの減量である。明日からは、いよいよ水一滴飲めないハードな減量が始まる。
 5日。今日から何も食べられないとなると、やはりつらい。ナイフやフォークのガチャガチャという音がやけに耳ざわりだ。なんだか世の中の不幸を全部背負ったようでいじけてしまう。一大決心をしたはずなのに、水が欲しくて仕方がない。
 6日。思っていたほどの空腹感は襲って来なかったが、水だけは欲しい。昼過ぎた頃から、頭痛と胃痛が交互にやってくるようになった。減量のスピードを増すために、レオタードの上にカイロを巻きつけ、サウナスーツを着込む。その上に毛布を三重巻きにしてどっかと坐れば、ヒーターが効いた部屋のお陰で、汗がどんどん出てくる。後は、風呂との組み合せで、ひたすら水分を出せばいいのだ。
 夜、ベッドに入っても、空腹のためあまり熟睡できない。ウトウトしたと思ったら、ウェイト・オーバーで失格した自分の夢を見て目が覚め、心配のあまりラジオ体操を始める。
 7日。試合当日午前8時、こっそり体重を計りに行ったら、まだ250gほどオーバーしていた。しかし、汗はとうに出なくなっている。唇が乾き、話をするのもおっくうだ。冗談を言う余裕などさらにない。再び熱い風呂で体を暖め、サウナスーツを素早く着込んで柔軟体操に精を出す。2時間くらいバタバタとやっていたら、ようやくうっすらと汗が出始めた。
 12時40分、公式検量55.9kg!
 遂に私は、2日半で4.5kgの減量に成功したのだ。なんと素晴らしいことだろう。私はこの苦しみに勝ったのだ。検量室から出て来と私は、廊下でみんなと手をとり合って喜んだ。
 試合までに、チョコレート3枚とジュース、それに青リンゴをお腹に入れた。試合場へ向う私の腕や脚には、急激な減量が原因で起きるらしいシビレがずっと続いている。
 午後2時、試合開始。
 まず、スクワットの第1試技は、私としては屈辱的な低い重量の115kg。当然、成功。そして次は130kg。苦しかったがなんとか成功させた。第3試技は、ニーバンデージの巻き方のお陰で、どうにか135kgを成功させることができた。
 この段階で、私は5位がやっとの位置にいる。米国のトーマス選手は、全選手が終ってから悠々とスタートし、157.5gで予想どおりトップに立つ。
 次はベンチ・プレス。評判どおりこの種目は概して記録は低いが、トーマスはここでもダントツの強さを見せて早々と安全圏に入ってしまった。私はこの種目で70kgという実に情けない数字しか残せなかったが、それでもトーマスの102.5kgに次いで2位なのだから、女性にとってベンチ・プレスは最も苦手な種目なのかも知れない。
 最後のデッド・リフト。いま私が最も得意としている種目がこれだ。ベンチ・プレスの追い上げで3位につけていた私は、第1試技を150gにした。2位につけていたフィンランドのエリナ選手は、第3試技を155kgで終了しトータル367.5kg。この時点での私との差は12.5kg。もしも私が165kgを成功させたら、世紀の大逆転となるお膳立てが整った。
 私はごく最近、170kgの日本記録をつくったばかりだから、その瞬間が目に見えるようだ。ヨシ!長州人のど根性を見せてやろう。私は深々と一礼してバーベルに向かう。バーを幅広に持ち、精神を統一させる。エイッ!とばかり一気に引っぱる。バーベルが浮いた。グングン上がっていく。
 ところが、どうしたことか、それまで持ち上がっていたバーベルが、最後の肩を入れる手前でピタッと動かなくなってしまったのだ。この瞬間。2位の夢は消え失せた。こうして私は、私自身のヌカ喜びと、エリナ選手と彼女のコーチの肝を冷やしただけの、姑根性的な快感を味わうにとどまったのである。
 試合が終ってみると、優勝したトーマスの強さだけが目立ち、後はダンゴレースそのものだったように思える。しかし、生まれて始めての短期大幅減量という最悪のコンディションで、よくもまあ3位になれたものだと、自分の運勢の強さには驚いてしまう。
 それと同時に、私は良いメンバーに恵まれたことを感謝せずにはいられない。今井さんからは、サウナスーツを借り、減量に必要な小道具をすべて揃えてもらったり、吉田さんには部屋の雑事をまかせっきりだったし、渡辺さんには減量後の食料を準備してもらった。私は、全く3人に頼りきっていたといってもいい。そしてさらに、関団長にも並々ならぬお世話になり、正にアスレティック・せき・ファミリーあっての受賞だった。
 関団長は、今回の世界大会を最後にJPAの役員と選手生活から引退されると聞いている。寂しいと同時に、その最後の遠征に私が参加できたことを幸せに思う。
 団長、そして奥様、ご免なさい。団長の財布がすってんてんになるほど食べまくっちゃって!でも、試合後の食事の味は一生忘れません。長い間、本当にご苦労様でした。
「56kg級3位入賞の国弘梅代選手]

「56kg級3位入賞の国弘梅代選手]

第3・第4セッション(60kg級以上)

……レポート・吉田寿子……
 第1セッション(44kg級・48kg級)、第2セッション(52kg級・56kg級)の試合が終了し、日本選手の出場がすべて終ったので、このセッションからは、外国選手の試技をじっくり見ることができた。
 60kg級で優勝し、軽量級のベストリフターに選ばれたシェーファーは、90kgあった体重を減量するためにパワーリフティングを始めたというだけあって、身長は私(154cm)とほぼ同じくらいだが、全身これ筋肉といった。いかにもガチッとした体格をしている。
 シェーファーは、第3セッションの他の選手がスクワットを全部終了した後、スタートから187.5kgの世界記録に挑戦した。そして第3試技では、200kgの世界記録を「あんなにおろさなくてもいいのに」と思うほど、深い完璧なスクワットで成功させた。
 ベンチプレスの苦手なシェーファーは、それでも87.5gを上げ、そしてデッドリフトでは実に212.5kgを引き、トータル500kgをマークして、観客を魅了した。
 日本では、選手と観客が一体になって試技をしているという雰囲気はまだまだないが、USAやオーストラリアの観客は、選手と一体となり、見ている者までが、上げるぞ、上げるぞ、軽いぞ、軽いぞ、と言うような心の高揚を楽しみ、そして素晴らしい記録が樹立されると、まるで自分がやったかのように狂喜するのだった。
 この興奮が会場全体を包み、この競技は見ているだけでもこんなに面白いものだったのかと、改めてパワーリフティングを見なおす思いであった。日本でも、みんながこのような見方をすれば、パワーリフティングの楽しみがまた倍増することだろうと思う。
 60kg級2位はニュージランドの16才の新人ミラン(トータル390kg)、そして3位はイギリスのバス(トータル375g)であった。

 67.5kg級は、優勝候補とみられていたUSAのD・ポストン(旧称:デウィット)がベンチプレチで失格するというハプニングで始まった。
 ポストンはトップ・ボディビルダーとしても知られており、オーストラリアの世界一の筋肉女性として有名なべブ・フランシスと顔がそっくりなところから、USA内では愛称を「ベイビー・ベブ」と言う。その彼女が失格してしまったので、優勝はオーストラリア選手同志の熾烈な争いとなった。
 結局、オーストラリアの国内試合で常勝を誇っており、この大会のマスコット・ガールでもあったウィテッシュ(トータル427.5kg)が破れ、昨年までは、このクラスのオーストラリア国内のランキング3位であったミラー(トータル435kg)が優勝をさらった。3位は、イギリスのウェブ(390kg)であった。
 この第3セッション終了後、薬物検査のためIPF女子委員会からの監視役として、私が指命され、60g級優勝のシェーファーと、67.5g級優勝のミラーに付き添った。
 昨年の世界大会では全選手に対して薬物検査が行なわれたが、今回はIPFのもう一つの規定である、優勝者と世界記録樹立者、それに各クラスから一名を任意に選んで薬物検査を行なうという手段がとられた。どちらの方法で薬物検査をするかという事は全く主催者側にまかされている。今回は後者の方法がとられた。
 私の任務は、この2人を検査室に連れて行き、ビーカーに尿をとるまで一刻たりとも2人の側から離れないことである。1人がパスポートを忘れたといえばホテルの部屋までついてゆき、1人が友達に話があるといえば、その人にべったり付き添って離れない。また、検査室には、バッグなど余分なものは一切、持ち込み禁止となっていて外部とは厳重に遮断されていた。
 減量している選手が多いので、試合直後に尿の出る者はほとんどいない。検査室にはビール、コーラ、水、ジュースなどが用意され、選手は自由にこれを飲み、ひたすら尿意の起こるのを待つのである。
 さっきデッドリフトで212.5kgを上げたばかりのシェーファーが、ビールを飲もうとして詮が開けられず「力が弱いからあけて」と、他の選手に詮を開けてもらって大笑いしたり、トイレに行った者が、からのビーカーを持って出てくると「ナッシング!(全然出なかったのね)」と言ってはやしたて、尿の入ったビーカーを乾杯するように高々と上げて出てくると「ウェル・ダン!(よくやった)」と皆で歓声をあげる。全く和気あいあいとして、これが今までオニのような顔をしてバーベルに挑んでいた選手かと、ふと思うくらいであった。
 ようやくシェーファーとミラーがトイレに行くという。監視役の私と看護婦の2人がトイレの中までついて行くのである。人のトイレを見ることに耐えられないので、顔をそむけていると看護婦に「見ていなさい。ビジネスですよ!」としかられ、改めて薬物検査の厳正さを思い知らされたのだった。こうして、検尿が終ったのは、実に試合終了から2時間半後。真夜中の12時をまわっていた。
 尿を100cc取り、50ccずつAとBに分け、それぞれシールをして、冷蔵庫に保管する。これをイギリスまで空輸し、世界的な公認検査機関で検査を実施するのだ。2つに分けるのは、Aの検査で陽性が出ると、Bで再確認するためである。A、Bが共に陽性であれば、薬物検査失格となり、IPFから資格停止処分を受けるのである。
 選手には、試合当日を含め、10日以内に飲んだ薬物(ビタミンも含む)をすべて申請させる。風邪、下痢、ぜんそくなどのため、どうしても薬物を飲まなければならない時は、医師の診断書を添えて申請すると、その薬物だけは薬物検査の対象からはずされる。なお、医師の診断書の書き方、薬物の対象となる具体例の資料などは、JPAの国際部にととのっている。
 2年前のハワイ大会で知り合ったイギリスのS・スミス(今回は48kg級5位)が、アレデードについた日、再会を喜び合ったあと言うには、
「USAの選手を見た?」
「まだよ」
「トランクを両手に軽々とぶら下げて歩いていたのよ。私達、思わずうしろにさがって、彼女達が通るのを口をあけて見ていたわ。とても女性には見えなかったわ!」
 鍛えあげれば、あんな風になるんだろうか。体つきだけでなく、選手の中には、ある共通した、しわがれ声を出す者が何人もいた。鍛えたからといって、決してそんなことはないと思う。私だって、この6年間ずっと規則正しく練習してきたが、それほど筋肉は肥大しないし、まして声は変らない。
 特に重いクラスは、バーベルを扱う重量も重いが、体が、また何ともすごい。私には、日本の平均的男子ボディビルダーより大胸筋が発達していると思える選手もいるし、上腕が、ゆうに40cmはあろうかと思われる者もいる。信ちゃン(渡辺信子さん)が最後まで「あの人が女性だとは絶対に思えない」と言っていたくらいの人もいるのだ。

 75kg級は、最後のデッドリフトまで優勝がもつれる接戦で、オーストラリアのマシューが、2年前のハワイ大会直後、顔の整形手術を受けなければならないほどの交通事故にあったにもかかわらず、見事にカムバックし、最後のデッドリフトで逆転しUSAのウェイランドを2.5kg上まわって優勝。マシュー487.5kg、ウェイランド485kg、3位には、美しいカナダの黒人ウィルソン(トータル372.5kg)が入った。
[56g級優勝・トーマス(USA)]

[56g級優勝・トーマス(USA)]

[60級優勝・シェーファー(USA)]

[60級優勝・シェーファー(USA)]

 82.5kg級は、今では世界的に有名になったオーストラリアのベブ・フランシスが、スクワット217.5kg、トータル577.5kgという世界記録を出し、他を寄せつけず圧勝した。そして、重量級のベストリフターには、このフランシスが選ばれた。
[ベスト・リフターの2人。左がシェーファ(軽量級)、フランシス(重量級)]

[ベスト・リフターの2人。左がシェーファ(軽量級)、フランシス(重量級)]

 2位には、イギリスのパワーリフティング界のスター、J・オークスがトータル507.5kgで入った。このオークスは、昨年のフランシスの記録(トータル497.5kg)から、今年こそはきっと、このフランシスを打倒せんとオーストラリアまでやってきたのだと思う。何しろ、体重が76gしかなく、もし下の75kg級に出ていれば優勝まちがいなしであったのだから......。
 ところが、最初のスクワットが終った時点から、オークスの美しい顔がくもり、デッドリフト終了後、どこかへ消えると、ついに表彰式にも、パーティーにも姿を見せなかった。3位はUSAのL・スミス(トータル437.5kg)であった。
 90kg級は、陸上界で薬物検査のため資格停止をくらっていたオーストラリアのマルホールがよくカムバックし、スクワット212.5kg、ベンチプレス120kgの世界記録を出し、トータル525kgで優勝した。2位はUSAのスターンバーク(トータル472.5kg)、3位はイギリスのジャクソン(トータル422.5kg)であった。

 +90g級。やはり女性で90gを越える人は世界にも少ないらしく、このクラスにはUSAのサンダーただ1人で多少さみしい感じであった。トータルは522.5kgであった。

 団体成績はオーオトラリアが1位、僅か3点差でUSAが2位。3位・イギリス、4位・カナダ、そして日本は4名の選手団ではあったが5位に入った。
 表彰式のあと、カナダとイギリスの役員から「来年は、日本はフルチームを組めるのか」と聞かれた。カナダ、イギリスともにフルエントリーで大会に臨んでいたことを思えば、日本チームは強い印象を与えたようだ。それから、個人的には「ウメヨの経歴を教えてくれ」と各国の選手から聞かれ、また「カズミはどうしている」との声も多く、国弘梅代さん、田鹿香主美さんの2人は、56kg級の外国選手たちに強い存在感を与えているようであった。
 団体優勝したオーストラリア・チームの喜びようは大変なもので、特にオーストラリア協会事務局長は「オーストラリアが優勝したことは、今後、パワーリフティングを政府に印象づけるという点で非常に大きな効果がある。これできっと、来年からは、我々の協会はオーストラリア政府の援助が期待できるだろう」と言って、手ばなしで喜んでいた。
 一方、USAの方は、わずか3点差で優勝を逸してしまったが、52kg級のスティーンロッドと、67.5kg級のポストンの失格さえなければ文句のない優勝だったのだ。USAの役員の一人は「優勝をのがした事で、彼女たちも少しはUSAとして世界選手権に出場するという事がどういう意味を持つのか身にしみた事だろう!」と言って、ひどく怒っていた。どうやら、試技の重量を選ぶ際、コーチの言葉を無視したらしい。
 この言葉に、チームを組んで世界選手権へ行くという意味の大切さを、私の方が考えさせられてしまった。幸い私たち日本チームは、関団長の発案と今井さんご夫婦の助力でチームのジャージをそろえるなどして(時には羽目をはずす事もあったが)、関団長を中心に、まとまっていて非常によかったと思っている。今後も、世界選手権へ行くのは、個人ではなく、あくまでも日本というチームなのだということを決して忘れてはならないと感じたのだった。
 関団長は、第3セッションは副審として、第4セッションは主審をつとめられた。判定のむつかしいスクワットでは、関団長の判定が一番きびしく、特に完璧なスクワットを要求しているUSAの役員たちから「彼の判定が一番良い」と言われたのだった。
 私が、個人的に感じた事は、やはりIPFルール通り、ひざの上面と、もものつけねの上面を結ぶ線が水平以下に降りなくてはならず、水平では、審判によっては赤をつけていたということだ。ヨーロッパの選手は全体的に高いスクワットで、せっかく立ち上がっても赤をもらう選手が多かった。
[試合が終って、まずは乾杯]

[試合が終って、まずは乾杯]

 大会の出来事をとりとめなく書いてしまいましたが、私達がこうした大会に出られるのは、とりもなおさず、JPAの斉藤理事長をはじめとする役員の皆様のご努力と、前JPA相談役の関団長の大きな力のおかげなのだ、ということを決して忘れてはならないと思っています。
 「前」JPA相談役と書いたのは、関団長が今大会をもってJPAの役員を退任されることになったからです。JPAにとっては、何とも残念なことですが、今後は、また別の面でのご活躍が見られると思うと、新たな楽しみと期待がわいてくると思います。
 また、団長の奥様には、記録・写真の方面をお手伝いいただき、たいへん助かりました。そして、お嬢さんの歩ちゃんは「キュート・ガール」と、皆にかわいがられ、オーストラリアという外国に触れた事が、何か良い経験として、8才の歩ちゃんの心に残っていくことであろうと思います。関家の皆さんには本当にお世話になりました。この場をお借りして、心から感謝いたします。
 そして私の家では、主人と小さい2人の子供が、待っていてくれたからこそ、私も、素晴らしい経験をまた1つふやすことが出来たのだと、頭の下がる思いをジーンと味わっています。
 どうか、来年は、もっと多くの方が参加なされるよう心からお願いし、今から練習に励まれる事を切に希望いたします。世界選手権に参加するということは、パワーリフティングそのものについてはむろんのこと、他にもきっと何か心に残ものがあると断言出来ます。
 こうして、とりとめのない報告をいたしましたのも、日本の女子パワーリフターの皆様が、国内の大会に、そして世界の大会に、興味をもってくださればよいと、JPAの女子部を担当する者として、心から願ってやまないからです。(おわり)
月刊ボディビルディング1983年8月号

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