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第18回全日本学生ボディビル選手権大会

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月刊ボディビルディング1984年1月号
掲載日:2021.01.18
12月4日(日)★大阪府立青少年会館
学生日本一は松山(法政大学)
 本年度締めくくりのボディビル・コンテストとなる全日本学生ボディビル選手権大会。東日本大会と西日本大会で20位以内を占めた計40名の選手によって学生日本一の座が争われた。
 東日本大会上位の松山(法政大)、岩間(神奈川大)、江口(東京大)に西日本大会優勝者の窪田(岡山理科大)、2位の福守(京都大)といったメンバーを加えた東西対決の)優勝争いが期待されていたが、結果は完全な東高西低。西日本勢は5位に福守、8位に窪田が入ったのみで、あとは東日本大会の成績をほぼ再現したような順位となった。
 優勝した松山は前年3位からの悲願達成。最終学年を迎えた今季、すでに関東と東日本のタイトルを獲得しており、今回でそれにつづく完全制覇を果たした。法政大学からの全日本チャンピオン誕生は、79年度の高西文利以来4年ぶり2度目。
 なお、ミスター・ユニバースでライトヘビー級第5位入賞を飾り帰国したばかりの小山裕史選手、ジャパン・ペア・チャンピオンの粟井直樹・幸子ペアという当代・のゲストがポージングを披露し、大会を大いに盛り上げた。
▲優勝・松山登代志(法政大)

▲優勝・松山登代志(法政大)

▲全日本チャンピオンとなった松山をはさんで、左は2位・岩間、右は3位・江口」

▲全日本チャンピオンとなった松山をはさんで、左は2位・岩間、右は3位・江口」

記事画像3
▲モストマスキュラーをかけてぶつかる、左から3位・江口、1位・松山、2位・岩間、7位・曽根原

▲モストマスキュラーをかけてぶつかる、左から3位・江口、1位・松山、2位・岩間、7位・曽根原

▲2位・岩間 勧(神奈川大)

▲2位・岩間 勧(神奈川大)

▲3位・江口武久(東京大)

▲3位・江口武久(東京大)

▲4位・酒井 功(東京大)

▲4位・酒井 功(東京大)

▲5位・福守研二(京都大)

▲5位・福守研二(京都大)

▲6位・明石孝祐(東京大)

▲6位・明石孝祐(東京大)

▲7位・曾根原 隆(神奈川大)

▲7位・曾根原 隆(神奈川大)

▲8位・窪田活久(岡山理科大)

▲8位・窪田活久(岡山理科大)

▲9位・片山雄介(東京大)

▲9位・片山雄介(東京大)

▲10位・高橋 純(東北学院大)

▲10位・高橋 純(東北学院大)

取材メモ

 前回優勝した青野(西南学院大)のような圧倒的なパルクはなく、かといって他を寄せつけぬほどの抜群のディフィニションを備えているわけでもないが、総体的に考えれば松山の優勝は当然であったといえよう。“完成度”という点では歴代チャンピオンの中でもトップの部類に入るのではないかとさえ思う。とりわけ学生ビルダーの弱点であるカーフの発達は、それだけで2位の岩間、3位の江口に対する優位さを歴然と示している。体型とバランスの良さを持ち合わせ、自分を生かすポージングも心得ている実戦派。欠点の少なさとあわせて、総合力では他の選手を引き離していると感じた。
 2位の岩間はパワーリフティングでは学生ナンバーワンの実力を持つ選手だが、コンテスト出場に向けて30kgにも及ぶ減量を敢行。上腕三頭筋や大腿四頭筋のカット、さらに背中の充実には目を見張るものがあるが、急激な絞り込みによって持ち前の筋量が犠牲になったきらいがありはしまいか。3位の江口はコンテスト出場のたびに進歩のあとをうかがわせるものの、上半身に比べて下半身がやや難点で、特に下腿の弱さは依然解消されていない。しかし、全体のバランスに今一歩欠けるところがあるとはいえ、両者は現在2年生。大型選手としての今後の成長が楽しみだ。
 一方、今回より、大会名から従来の「東西対抗」の字句を削除。名実ともに「選手権大会」の体裁をととのえたわけだが、それでも今回の西日本勢の不振は目についた。けれども、入賞した福守や窪田はもちろん、九州の安田(西南学院大)や中部の登内(中京大)など各地区を代表する選手達が、筋肉そのものでそれほど見劣りしているとは思えなかった。ただ共通して肌が白く、ポージングに難のある選手も少なくないことなど、「試合に臨む態勢づくり」の点で、東日本勢と差がついてしまったようだ。
▲開会式風景。選手宣誓をするのは西日本大会優勝者・窪田活久選手(岡山理科大)

▲開会式風景。選手宣誓をするのは西日本大会優勝者・窪田活久選手(岡山理科大)

◆優勝者の横顔
松山登代志(まつやま・とよし)

昭和36年12月4日生まれ, 22歳の誕生日を自らの快挙で飾った。兵庫県柏原(かいばら)高校出身。法政大学文学部哲学科4年生。法大先輩の高西選手と同じく、中・高校時代は器械体操の選手。法大入学後、ボディビル部に入部。ウェイトトレーニングを始める"時を経ずして大器の片鱗を示し、1年生の秋・関東学生新人戦第2位。東日本大会にも出場して決勝に進出,全日本大会への出場権を得た。この頃から「いつかは全日本のチャンピオンになりたい」と思うようになったという。しかし、当時の松山選手の体はいかにも"おおらがで, どちらかといえばパルクタイプ。3年生の秋、東日本,全日本大会へ向けて初めて減量に挑戦し、均整のとれた鋭い体に変貌を遂げる。 11月の東日本大会の際に減量の行き過ぎを指摘され,今大会までの調整は筋量の回復に重きを置いた。
松山選手のバック・ポーズ

松山選手のバック・ポーズ

応援に駆けつけた法政大学先輩の高西文利選手(左)と。法大からの全日本チャンピオンは、この高西選手についで2人目。

応援に駆けつけた法政大学先輩の高西文利選手(左)と。法大からの全日本チャンピオンは、この高西選手についで2人目。

月刊ボディビルディング1984年1月号

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