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☆1983ミス&ミスター・パシフィック・フィジカル・コンテスト☆
正月恒例、南の島のコンテスト

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月刊ボディビルディング1983年4月号
掲載日:2020.10.13
田野和美

恒例の正月グアム・ツアー

 1983年1月2日。ミス&ミスター・シフィック・フィジカル・コンテスト参加とグアム観光を兼ねた私たちのツアーを乗せた飛行機は、午後8時55分、寒い日本から脱出するかのように成田空港から一路、南国グアムへと向って飛び発ちました。
 去年は日本航空の飛行機だったのですが、今年はノースウェスト航空。スチュワーデスさんは全員外人です。こっちは英語があまり話せないし、むこうも日本語が十分でないとなると、たかが3時間半の機中とはいえ、不都合この上ありません。やっぱり日本語の通じる飛行機がいいなあ、と痛感。
 大阪から一緒だった粟井さん御夫妻は、まだ新婚のムードいっぱいで、とても仲がいい。練習できなかった。という言葉とは裏腹に、シャツがはちきれんばかりの腕と胸。それに、お二人共、ぜんぜん夏と変らない体型で、シーズン・オフになるとつい食べすぎてしまう私とは、やっぱりふだんの心掛けも練習量も違うようです。
 1月3日午前1時半、グアム空港到着。それから入国手続が終るまでなんと1時間。最後の1人がロビーにおりて来たときには、すでに3時をまわっていました。手続きを待つ間の眠いこと、立ってならんでいても眠れそうです。その上、みんな長袖のセーターやジャンパーを着ているものだから暑いのと眠さでボーッとして頭も働きません。やっとロビーにおりたら、なつかしいテッド荒川さんと我がアメリカン・ヘルス・クラブの西川会長が出迎えにきてくださっていました。
 西川会長は、新聞、雑誌等で御存知の方もあると思いますが、昨年、このツアー中に日米友好親善大使に任命されました。コンテストを通じてグアムにボディビルを広め現地の人の健康づくりと、日本との親善交流に貢献したのが認められたためです。
 さて、去年と同じように荒川さんのガイドでフジタ・タモンビーチ・ホテルに向い、スケジュールの説明が終ったのは、もう明け方に近い4時。部屋割りのあと、ベッドに入ったとたん、バタンキューというあり様でした。私の部屋は、東京の加藤和枝さんと名古パ屋の小木曾理栄子さんが同室でした。

新知事就任式にユカタで参加

[知事就任パレードにユカタを着て参加したツアー]

[知事就任パレードにユカタを着て参加したツアー]

  1月3日。今日はグアムの新しい知事の就任式が行なわれ、私たちツアーの中からユカタを持って来た。西脇美智子さん、小木曾理栄子さん、粟井幸子さん、西川会長の奥様と息子さんのこ真行君、弘兼明美さん、山下由美ちゃん、それに私たち姉妹の9名が祝賀パレードに参加しました。
 パレードは、知事を先頭に、海軍陸軍、ブラスバンド、バトンガール、小学生ぐらいの男の子達、仮装行列と約1,000人ほどの人が、たった1.6キロの道のりを2時間近くかかっての行進です。こんなところにも南国特有の明るくてお祭り好きの島民の気持がよくあらわれていました。
 夕方は、6時からホテルのサパークラブでショーを見ながらのディナーです。後半のフラダンスのコンテストでは、宮畑豊会長と姫路の新井秀勝さんが出場。場内の拍手で優勝者を決めることになっていたが、甲乙つけがたく結局、ジャンケンで新井さんが優勝しました。それにしてもどこで習ったのか2人ともお見事でした。

恋人岬、博物館、アプガン砦

 1月4日。バスで島内観光とショッピングということで、テッド荒川さんと今回のツアーのお世話をしてくださるマイクさんのお二人のガイドでホテルを出発。
 最初は、悲しい恋の伝説の残る恋人岬へいきました。岬はすごい絶壁になっていて、はるか下に波が打ちよせています。ここから、親に結婚を反対された若い恋人同士が、互いの髪を結んで海に身を投げた。という伝説があります。目もくらむような高い断崖から身を投げたんですから、2人はほんとうに勇気があったに違いありません。それにしても、眼下にはマリアナ海溝が広がり、まさに絶景です。
 ここには、ハーフフラワーといって半分しか花が咲かない花が咲いています。この花を手にとって、片想いの人の名前を呼んで海に投げると思いが通じるという、とてもロマンチックな言い伝えがあるそうです。
 そのあと、小さな自由の女神像のあるパセオパークに行きました。この像は、アメリカ本土のボーイスカウトから、グアムのボーイスカウトに贈られたもので、アガニア湾に面して立っています。この近くには巨人軍がグアムキャンプで練習するパセオ球場がありキャンプ間近というせいもあって、きれいに整備されていました。
 それからスペイン広場を通ってグアム博物館へ行きました。この博物館には、横井庄一さんがジャングルの中で作った日用品や服などの他、グアムの原住民であるチャモロ族の遺物や武器などが展示してあります。
 博物館から道をはさんですぐのところにラッテストーン公園があります。ラッテというのは、サンゴ岩でできた人より少し高いぐらいの石柱で、ジャングルの中から発見されたものですがいったい何に使われたのか、謎とさているそうです。
 次にアガナ市内が一望できるアプガン砦に立寄りました。ここから見る景色は素晴らしく、特に夜景は「百万ドルの夜景」と言われています。
 昼近くなり、ホンコン料理の昼食を食べ、そのあとは免税店に寄ってショッピング。バスの網棚を一杯にしてホテルに帰りました。
 夜は「はるなレストラン」で、しゃぶしゃぶを食べました。そろそろ日本料理が恋しくなったでしょうという荒川さんやマイクさんの心遣いですが、日本料理といってもやっぱり肉主体。 
 私はどっちかというと、おせち料理が恋しいなァ。お雑煮も元旦の朝に食べたっきりだし......。といいつつ、この「食欲。それも、5日後にはコンテストがあるというのに.........。
[ホテルのプールサイドでポーズをとる粟井さんと私]

[ホテルのプールサイドでポーズをとる粟井さんと私]

 滞在3日目の1月5日。テッド荒川さんの経営するグアム・シンポーが私れ達のために歓迎パーティーを開いてくださいました。会場は荒川さんのマンションの庭で、海に面している上、プールまでついていて、とても素晴らしいところでした。
 バーベキュー・パーティーでしたが後から聞いた話によると、ビルダーがよく食べるのを知っている荒川さんは肉を1人当り6ポンドも用意されたそうです。どうりで、いくら食べても減らないハズです。また、西川会長がマグロの刺身をつくってくださって、思いがけない日本料理にみんな大喜びでした。
 食べて、泳いで、遊んで、みんなだんだんと日焼けの色が濃くなって、中には現地の人と区別のつかない人もちらほら.........。

夕陽を見ながら船上パーティー

 1月6日。希望者のみココス島と南部観光ツアー。私は行きませんでしたが、とても美しいところだったそうです。西山嘉一さんが自転車でグアム島一周を計画。約10時間かかって背中を真赤にして帰ってきました。
 夕方6時からはサンセット・ディナーと言って、夕陽を見ながらの船上パーティーです。海と空がオレンジ色に染って、ゆっくり太陽が沈み、やがてテーブルの上のローソクに灯がともされる。
 そんな中で船上ではギターと「ユーアー・マイサンシャイン」の歌声。笑い声と乾杯の音シャッターとフラッシュの光、日中の日焼けでほてった体に潮風が心地よく、暗やみの中にホテルの灯が海面に浮ぶ。南国の夜が始まるのです。
 パーティーがすすみ、ホラ貝を吹くコンテストが始まりました。トップ・バッターは新井さん。3回のチャンスを与えられましたが一度も音が出ません。次々と挑戦していくけど、みんな少し音が出るだけ。私も最初の2回はだめでしたが、3回目にようやく音が出ました。やたらと力を入れてもだめのようです。
 全員挑戦し終わったところで優勝決定戦。高瀬さん、栗井さん、加藤さん西脇さん、徳永節子さんが前に出て吹き比べです。みんなとってもうまい。でも、やっぱり音といい、息の長さといい、なんといっても徳永さんが最高でした。ホラ貝吹きの女王は徳永さんに決定。
 パーティーも終り、船を降りたところで写真を1枚。そのあとは、それぞれ気の合う人たちと夜のとばりへ散っていきました。
[ゲストのミス・ユニバース、パティー・ケルコスと宮畑さん]

[ゲストのミス・ユニバース、パティー・ケルコスと宮畑さん]

絶好調なのは肌の焼け具合だけ

 1月7日。夕方の集合時間まで1日中日光浴。名古屋から参加の高瀬恵造さんは、去年よりひとまわり大きくなられたようで、実業団の時の小木曾さんとの絶妙のペアを思い出します。加藤さんは、昨年の実業団では5位というだけあって、やはり貫録があるなあという感じ。昨年のこのパシフィック・フィジカル・コンテストでは2位でしたので、今年は楽しみですね。
 中村信子さんは実業団出場の時と変わらず、ずっとしぼっていたという感じで、ポージングもしきりに練習されていました。
 山際昭会長に「体調はどうですか」と声をかけていただく。好調なのは肌の焼け具合だけで「ハイ、なんとか......」と答える声にも元気がない。本当は「絶好調です」と言いたいところけど.........。絶好調なのは、粟井御夫妻。
 そんな御夫妻も、グアムから出場する外人選手のことを気になさっている様子。どんな人が出るかわからないで、大会がはじまってみないと全く予想がつきません。
 この日、夕食の後、ドッグレース場でゲスト・ポージングをすることになりました。男性では高瀬さん、東海林さん、粟井さん、女性では加藤さん、中村さん、粟井さん、私、そして日本女性ビルダーのチャンピオン、西脇さん。粟井御夫妻にはペアでもポージングをとっていただく。
 ドッグレース場に来ていた人々も、少しずつ舞台の近くに集まってきました。グアムの人々は反応が早い。素晴らしいポージングには惜しみない拍手が送られます。
 ドッグレースの合い間をぬってのポージングでしたが、この反応のよさにあさっての大会が楽しみです。このお正月のコンテストは恒例になっているので、楽しみにしている現地の人もきっとたくさんいることでしょう。
 今年の大会にはゲストとして出演する西脇さんは「冬になって太っちゃった」なんて言っておられたが、さすがにチャンピオン、冬にあれだけの体を維持するのは並大抵の努力ではないと思います。
 グアム滞在中、肌を焼くだけでなく本格的な練習をしたいというみんなの要求で、西川会長を通し、アメリカン・ヘルス・クラブのグアムの支部であるトレーニング・センターで練習できるようにしていただきました。
 ジムはビルの2階にあって、増築したので去年より少し広くなっていました。壁に取りつけた鏡は角度がついているので、自分のフォームがよくわかります。バーベルやダンベルを見てホッとするのは、私も少しはビルダーらしくなった証拠でしょうか。
 私は、今回はそんなに練習に行かなかった上、弘兼さんと妹の3人で行った為、他の方の練習の様子を見ることが出来ませんでしたが、やはり練習すと体がしゃんとして、だらだらした気持もひきしまります。
 
 1月8日。グアム旅行も終盤に近づき、いよいよ明日の大会を残すだけとなりました。
 フリー・タイムとなったこの日、私達は、フジタ・ホテルのプール・サイドで日光浴をしながら、時々ポージングの練習をしていましたが、一般のお客さん達は、いったい何が始まるのかと、泳ぐのも忘れて筋肉美に見入っていました。その中に”あのねのね”の原田伸朗さんがいて、彼も「いい体しているね」と驚いていました。
 名古屋の高瀬さんは、一緒に来ていた平沢さんや小木曽さんとポージングの練習をしていましたが、弟さんの孝造さんもビルダーかな、と思うほどよく焼けていて、それにお兄さんによく似ていらっしゃいました。
 そのうち、プール・サイド横の芝生でポージング大会が始まり、それぞれカメラにおさめました。私達も仲間に入れていただき、粟井さんや、高瀬さんとのペアの写真がよい記念になりました。
 みんなとワイワイ言いながらの日光浴も、これが最後かと思うと、やっぱりちょっと寂しい気もしましたが、とてもいい思い出になったと思います。

粟井さん御夫妻が栄冠を独占

 1月9日。やや緊張しながら起きて朝食を食べていると、なんだか空が暗くなってきました。会場となるイパオ公園は野外スタジオです。雨になったら困るなあ、と思っていると、ついに大粒の雨。
 グアムの雨は男性的です。しとしとなんて、女性らしく降らない。まるで夕立みたいにザーザー降ります。
 会長はじめ、メンバー全員が心配しましたが、結局、雨は大会が始まってるからも降り止まず、観客なしのコンテストになるんじゃないかと思ったほどでした。
 明日は日本に帰ってしまうから、雨天順延というわけにはいきません。天気だけはみんなの努力でどうなるものでもなく、いったい誰が雨女(いや雨男?)なんだろうと思いつつ、止んでくれるのを祈るのみです。そんな心配が通じたのか、やがて小雨になり、うそのようにからりと晴れました。ほんとうに男らしい雨です。
 午後2時、会場に向いました。西川会長をはじめ、グアム・アメリカン・ヘルス・クラブのオーナー、ジョー浅沼氏、新井さん、夏木さん、藤本さん達が会場の準備を始めていて、大会ムードが盛りあがっています。
 申し込み用紙に名前を書いて提出すると、いよいよだ、という思いで気持がひきしまってきます。
 少しずつ人が集まってくる。テレビ局のカメラも来ている。新聞社のカメラマンも何人かいる。選手はみんな水着やビルダー・パンツになって体をほぐし、互いの背中にオイルを塗っている。
 思い思いにポージングの練習をし、パンプ・アップさせようと、仲間どうしで手を貸したりしている。西脇美智子さんも芝生でポージングの練習をしている。カメラマンが来て、女性ばかりの写真を1枚とらせてほしいと言っている。緊張してくる。いつの間にか外人選手が来てパンプ・アップをはじめる。
 ゲスト・ポーザーの1人、パティー・ケルコス嬢がやって来た。昨年のこの大会で3位に入り、'82ミス・ユニバースになったパティーは、若干18歳。スタイルを保っためにウェイト・トレーニングをしているということです。
 さっそく新聞社の人たちが集まってくる。西脇さんとパティーの2人をモデルにカメラを向ける。選手達も練習の手をとめ、しばらく注目。一般の人も集まって、写真をとる人もいる。さすがにスターが2人いると華やかだ。
 やがてゼッケンがくばられる。私は外人選手のあとでした。選手は男子20名、女子11名でした。
 グアムで実力No.1の歌手、ジミー・ディーの司会で開会。舞台裏でジミーの声だけ聞いても、進行状態がわかりません。もっと英会話を勉強しておくんだった。
 それでも審査員が紹介されているのがわかる。審査員は、このたびのツアーの団長でもある山際昭実業団会長を委員長として日本人3名、外人8名。この構成がどう審査に影響するか。
 やがて比較審査。ステージに出たとたん、観客の多さに驚く。たぶん1500人から2000人ぐらい。歓声がわき、拍手がおこる。口笛が飛び交う。ただ笑顔で眺めている人もいる。やはり観客数に圧倒されそう。野外ステージの効果抜群。照明設備はないけど、南国の太陽がオイルをぬった肌に照りつける。大会のムードは最初から盛りあがっているようです。
 比較審査のあと、男性選手から個人審査が始まりました。外人選手の中には刺青をしている人もいて、1週間グアムにいて外人に慣れたとはいえ驚いてしまいます。
 やはり地元の選手がステージに立つと、観客の反応も違い、大きな声援ですが、日本の選手も負けじと力が入ります。舞台裏にいたために、選手全員の審査を見ることはできませんでしたが、粟井さんや高瀬さん、西山さんなども地元の選手に負けないくらい歓声が起こっていました。
 やがて女性の審査となり、最初は岡本あや子さんでした。岡本さんは大会出場が初めてということで、かなり緊張しておられました。女性の外人選手も日本人の間に入って審査の順番を待っていましたが、何を食べたらあんなに足が長くなるんでしょう。ほんとにスタイルがいい。
 私の前はリンダ・ケッチマークという外人選手。ステージに出たとたん、すごい歓声。この審査は持ち時間の制「限がないので、思うぞんぶんポージングをとっている。
 外人選手のあとは、すごくやりづらい。ここで弱気になってはいけない。でもやっぱりあがってしまった。
 ステージをおりるとホッとする。日本に帰ったら練習しようと思う。
 加藤さんが出て行く。やっぱり落ちついている。投げキッスをして帰ってくる。ちっとも不自然じゃないのは、日本じゃないからかなあ。つづいて中村さん。去年に続いて2度目の出場。ずっと黙々とポージングの練習をしていた甲斐があったというもの、堂々としている。
 粟井さんが、小走りにステージに上る。体は小さいけどファイト満々。いきいきしているなあ。ひときわ大きな歓声があがる。
 個人審査終了後、予選を通過した者の名が呼ばれ、決勝となる。
 ここで、弘兼さんと我が妹、智子が同点ということで、ふたたびステージへ。姫路出身同士で、きっと2人ともやりにくいだろうなあ。結局、妹の方が決勝に残る。
 決勝審査では、男女ともまたいちだんと熱が入り、見ている方も、もう一度すばらしい筋肉美が見れるとあって舞台も観客も盛りあがる。
 さて、決勝審査が終り、結果を待つ間にゲストが登場。まずは昨年度実業団壮年の部チャンピオン、東海林徹さん、次が’82ミスター・カリフォルニアのジェシー・ルハン、そして西脇美智子さん。日本中の女性ビルダーの目標である西脇さんは、チャンピオンらしく切れのよいポージングでした。
 最後はミス・ユニバース、パティー・ケルコス、金髪をゆらしての登場。かわいいというのは彼女のための形容詞なんじゃないでしょうか。まるで、お人形みたいな女の子です。
 そして、いよいよ結果の発表です。まずミスターの部、つづいてミスの部が発表されました。
記事画像4
 こうして、ミスターの部は栗井直樹選手、ミスの部は粟井幸子選手がチャンピオンに選ばれました。ご夫婦そろってのアベック優勝で、喜びもひとしお。結婚しても夫婦そろってボディビルを続けていけるというのは、ほんとうにうらやましいですね。
[表彰式。ミスターの部とミスの部でアベック優勝を遂げ奥様を肩にのせて喜びいっぱいの粟井さんご夫婦]

[表彰式。ミスターの部とミスの部でアベック優勝を遂げ奥様を肩にのせて喜びいっぱいの粟井さんご夫婦]

 入賞者全員が舞台に並び、いっせいにポーズをとると、さすがに迫力があります。カメラマンがしきりにシャッターを切り、観客の大きな拍手が鳴りやみません。
[ステージに並んだ出場選手たち]

[ステージに並んだ出場選手たち]

 それにしても、やっぱり舞台の下ではなく、上にいたいなあ。日本に帰ったら練習しよう。コンテストに出るたびにする決意だったりして.........。
 無事に大会が終ってよかった。雨も降らなかったし。緊張してちょっと疲れたけど、この疲労感がなんとなく好きだなあ。
 大会終了後、ツアー最後のイベントさよならパーティーのため、大会で司会をしてくださったジミーの自宅へと向いました
 ジミーの家は、海に面した白い大きな2階建の家で、テラスから庭へ出てそのまま行くと海辺へ出ることができます。テラスの柱は、グアムの象徴であるラッテストーンの形が生かしてあり、庭のやしの木とよくマッチしています。ちょうど夕陽が海に沈む時間でもあり、空はオレンジだし、潮風が気持いいし、やしの木の陰が長く伸びてムード満点。
 やがて手に手にお皿とフォークを持ち、バイキングのパーティーが始まりました。なぜかグアムの鶏肉はとてもおいしい。サラダも肉もたっぷりあるし、お腹のスペースも充分です。
 西川会長作のお刺身も好評。わさびもおしょう油もあります。デザートには手作りのケーキ。これがまた女の子だけじゃなく男の子にも人気があってあっという間になくなりました。ビールもジュースもよく冷えているし、ジミー夫人の手作りの料理はおいしいし言うことなしのパーティーでした。
 さて恒例の歌。宮畑さんの渋い声から、今夜は西脇さんにも歌っていただきました。つづいてジミーといっしょにショーをしている人がフラダンスを披露してくれました。そのおかえしに私達も東京音頭を、そして正井さんの音頭で炭坑節を踊りました。
 飲んで食べて踊って、明日の今頃は寒い日本だなんて、すっかり忘れてしまったようです。
 夜も更けて、ホテルに帰って帰国の準備をしなければならない時間になりました。写真もいっぱいとったし、なごりおしみながら、ジミーやジョー浅沼に別れを告げてホテルへ。
 ひと休みして、帰り仕度を始めると1週間なんて、ほんとに早くて、もう帰るのかと思うと寂しくなります。
 モーニング・コールは午前零時。ロビー集合は1時。寝ずに飛行機に乗ろうと、いっしょに来た仲間としばし思い出話。
 ねむい目をこすりながら空港に着くと、もう2時でした。免税店などを見てまわるうちに、出発時間となり、あわただしく飛行機に乗り込みました。
 ああ、これで現実の世界に引きもどされるんだなあ。明日からは、仕事をして、寒いねえなんて言いながら、練習するんだなあっていう感じ。また来年も来たいなあと思いながら、おみやげと思い出をバッグにいっぱいつめて3時45分、グアムを後に飛行機は飛び発ちました。
 いっしょにいったツアーのみなさん楽しい思い出をありがとうございました。大会のお世話をしてくださった方々、グアムの現地の方々、ほんとうにありがとうございました。誌面で失礼ではありますがお礼の言葉にかえさせていただきます。
月刊ボディビルディング1983年4月号

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