第2回 アジア女子ボディビル選手権
アジア連盟女子委員会委員長★松山 令子
◇3月29日ーーーーーー台北着グランドホテル宿泊
第1回アジア女子BB選手権が行なわれたのは1983年7月2日、シンガポールであった。今年はそれから3年目で、中間の2年間は選手権が行なわれなかったのである。
このように、アジアで女子選手権が行なわれにくいのは、宗教上の戒律から女性が肌を見せることを禁じている国が、アジア連盟にいくつか含まれているからである。
第1回の時は、優勝エリカ・ジェイソン(オーストラリア)、2位・飯島ゆりえ(日本)、3位サルビア・モリス(シンガポール)で、エリカ・ジェイソンの筋肉の発達は抜群で、マイケル・ジャクソンの“ビート・イッド”の曲にのってのポージングは眼をみはるばかり流動的で生き生きとしていた。今年はどのような選手が、どのような体で集まってくるだろうか。
飛ぶこと約3時間半、長いと思う間もなく台北に着く。時差で1時間遅れの台北は11時30分である。
型通りに入国手続をすませてロビーに入ると、はやばやと出迎えの役員の方々から丁重な挨拶を受ける。出迎えの役員は、かなり年配の温顔の老紳士と、美しくて聡明そうな女性である。いつものことながら、出迎えを受けて心からありがたく思った。やがて、ホテルからさしまわしのリムジンに乗り込んで、ホテルに運ばれる。
車は平坦な道を走る。生れてはじめて踏む台湾の土である。道の両側に、やわらかい緑色の草木が繁茂している。台湾は温暖な気候の土地だと感じる。
▲後藤紀久マネジャーを先頭に日本ティーム入場
▲台北到着。台湾連盟副会長の出迎えをうける。
え、あれがホテル?と一同驚く。その建物を迂回して何分か走って着いたのが、その赤い建物の正面玄関であった。漢字で“圓山大飯店”アルファベットで“Grand Hotel”と書いてある。やっぱりこの中国情緒ゆたかな建物が私達の宿舎であったのかと思うと、すっかりうれしくなった。
主催団体の役員による部屋の割当てがなされ、各自部屋に落ち着く。私のあてがわれたのは、シングルの小部屋ながら、木製の調度品は全部紫檀である。さすが中国だなあと感心する。
しばらく休息してから、後藤、増渕、私の3人でポール・チュア氏と会う。2階の大きいティールームで四角い大きいテーブルを囲んで、よもやまの話に花が咲く。
午後7時、ホテル10階の大広間でウェルカム・パーティーが開かれる。山海の珍味という形容詞がぴったりの台湾料理が出る。皆が、ひとしきり胃袋を満足させたあと、役員のスピーチが始まる。私も請われて少し話した。
こうして、第2回アジア女子選手権の幕は、なめらかに、親しみをこめて開いた。台湾の人達のおだやかで心温いのが印象的である。
3月30日、コンテスト当日の朝食。左から増渕監督、ポール・チュア氏、松山
◇3月30日ーーーーーープレジャッジ、及び選手権
〈1〉ボディビル・コンテストであるから、筋肉の発達を審査する。
〈2〉しかし、筋肉の発達が究極の審査対象ではなく、筋肉を発達させてつくり上げた女性らしい美しい健康な体が審査の筋肉の過剰発達で女性る。
〈3〉いかに筋肉の発達の度合が高くても、その筋肉によってつくりあげた体が、美しさ、女性らしさを逸脱していれば、それは女性ビルダーの体としては失格である。
以上であるが、これは実に正鵠を得た結論であった。
ジャジズ・ミーティング終了後、直ちに全員バスで選手権の会場に運ばれ、体重測定に入る。
ライト・クラス8名、ミドル・クラス5名。日本ティームとしては、ライト・クラスを目指す大垣選手がこの日の朝食には何も食べず、体重調整に成功してパスした。飯島、遠藤両選手もライト・クラス。須藤選手のみミドル・クラスである。
この体重測定の時、面白かったのは、オーストラリアのキャサリン・イリンスワースという、身長は150cm以下で、体重47kgという極めて小柄ながら、その凄い筋肉の発達は服を着ている上からも一目瞭然という選手が、全員の測定を終ってから、ゆうゆうと現れて、室内着を着たままで計量器に乗り、無事パスして大ニコニコで退場したことである。
ちょうど男性ボディビルダーが、いよいよという時まで、体をライバル達に見せないというような、そんな気分も彼女の態度には感じられてとても興味深かった。そして、やがて見られる彼女の体に大きい好奇心がわいた。
体重測定が終ると、すぐにプレジャッジングに入り、それが終るとすぐにファイナル・コンテストが、一連の行事として流れるように行なわれた。コンテストの結果を別表に記したので、先ずそれを見ていただきたい。
◇ライト・クラス(8名)
体の点から云えば、大垣、飯島、アグネス・リー、遠藤、キャサリン・イリンスワースの5人までは筋肉の発達があった。あとのリンダ・ワン、マリッサ・ダエット、リュウ・イエン・ウェンの3人は全く筋肉の発達には見るべきものがなかった。但し、この3人の体は、普通の女性の体として見る時は、とても美しい体であった。
予選を通過した6人の体で、筋肉のみを審査の対象とするならば、優勝は無論キャサリン・イリンスワースのものであったことは疑いがない。彼女の体は、ステージで見ると群を抜いて筋肉が発達しており、その巨大な三角筋、太い腕、部厚い肩は、とても女性のものとは思えなかった。サイズの点だけでなく、体の形もまた女性ばなれしていた。
ステージで8人の選手達が自然体でならんで立ったとき、両腕をやや体側から離して開き気味に立った彼女の姿は、7人の女性に交った1人の男性さながらであった。
彼女は、最初から自信満々であった。3年前の第1回アジア女子選手権で、筋肉の発達では彼女の足元にも及ばなかったエリカ・ジェイソンが優勝したのであるから、彼女自身は優勝疑いなしと100%思っていたにちがいない。
しかし、彼女の発達した筋肉がつくりあげた体は、女性らしさを捨去ったものであることは衆目の認めるところであった。従って彼女の敗北は如何ともしがたいものだった。
筋肉の顆状発達で女性らしさを失ってライト・クラス5位という結果に終ったキャサリン・イリンスワース
飯島選手は、やさしい女らしさを出すことを意図して、ほほえみを絶やさなかった。そのせいか、各ラウンドともにマイルド過ぎて、アクセントがなかった。この次はもっと工夫して、やさしさの中にも強弱の変化をつくり出すようにすれば、もっと順位があがるだろうと思う。
アグネス・リーの体は、筋肉の密度も高く、骨組みもしっかりしていて、ある程度いい体であった。特にカーフはキャサリンに次いでよかった。ただウエイストが太く、そして腹筋が胸よりもうしろへ引けていないことが、姿全体から若々しさを奪っていた。この欠点を修正すればうんとよくなる体である。ポージングは、テンポの速い音楽で、体の動かし方も速く、見せ場がなかった。
遠藤選手は、体に精気が少なかった。皮膚に光沢がなく、背中から腰にかけて筋肉の厚味がなかった。ポージングでは、同じポーズが何回か出てきた。いま少し生き生きとした体をつくり、それにもう少し音楽と体の動きを工夫したポージングを研究すれば、もっと上位をねらえるだろう。
リンダ・ワン、マリッサ・ダエット、リュウ・イエン・ウェンの3人のポージングは、エアロビックス的で、ボディビル的ではなかった。体が出来ていないので、ポージングによって観衆に感銘を与えることが出来なかった。
▲ライト・クラス表彰式
◇ミドル・クラス(5名)
と、いって、須藤選手の体が完壁で欠点がないというわけでは決してない。ただ5人の中では飛び抜けて女性ボディビルダーとしてすぐれた体をしていたということである。欲を云えば三角筋をもっと発達させて肩をゆたかにすることが、彼女の今後の課題である。今後の努力を期待する。
2位のジョセフィーヌ・チュアと3位のヤップ・メイ・チュンは甲乙つけがたい体であった。2人共に、トレーニングで鍛えてつくったよさではなく、持って生れた遺伝的のよさで勝負していた。
ヤップ・メイ・チュンは骨格のプロポーションがよく、特にうしろ姿がよかった。肩幅とヒップの幅のバランスがよく、体の形に安定感を与えていた。ジョセフィーヌは、ゆたかなヒップと大腿の下に、ほっそりと長い、けれども強そうな下肢が秀逸だった。
2人の肌の色も対照的で、ヤップ・メイ・チュンが、うっすらと黄色味を帯びたやわらかそうな白い肌をしているのに対し、ジョセフィーヌはシンガポールの太陽の下で生れて育った美しい琥珀色の肌をしていた。この2人の優劣をわけたのは、ジャッジたちの主観的な好みだったろう。
4位のウェンディ・リー、5位のリュウ・グイ・ミエは共に台湾の選手で、まだどこにも筋肉の発達らしいものがなく、腰から下にはぽってりと脂肪がのっていた。
日本選手4名とオーストラリア1名の選手の他には、コンテストのために日焼けをして皮膚に色をつけた選手はひとりもいなかった。体を立体的に見せるために皮膚を日焼けさせることを知らないのだろうか。
▲ミドル・クラス表彰式
クラシック音楽が普通であった数年前には、このようなテンポの速い音楽で、身軽に動くポージングが非常に新鮮な印象を与えた。このような傾向が何年かつづいたのちに、このごろでは、それはもう新鮮ではなくなってきた。
ちょうど、こういう時に須藤選手が有名な映画“アラビアのローレンス”の中の曲を用いて、その壮麗なドラマティックな音楽にのって、静かに力強くポージングしたことは、彼女の体の表情と相俟って、観衆に多大の感銘を与えた。
このような音楽、このようなポージングは、この日、ここに集った観衆にとっては、非常に珍らしく、印象深いものであったろう。そのことは、この音楽が場内に流れ出すと、観衆は一斉に静まり、ポージングが終った瞬間に、水を打ったように静かだった場内の空気を、爆発するような拍手がゆるがせたことでわかる。いい音楽といいポージングがドッキングしたことの成果である。この曲との出合いは、須藤選手にとって最大の幸運であった。
ポージングにとって、音楽ほどその効果を左右するものはない。日本の選手たちが、今後ポージングの技術を磨くと同時に、自分の個性にあう音楽を、あらゆる努力をして探しあてられたことを私は祈る。音楽とポージング、それは、まことに表裏一体をなすものである。
第2回アジア女子選手権の2つのクラスのコンテストと表彰式が終ったのちに、ベスト・ポーザー賞とモスト・フェミニン(最も女らしい選手に与えられる賞)が審議され、ベスト・ポーザー賞は文句なく須藤選手に、モスト・フェミニン賞はジョセフィーヌ・チュア(シンガポール)に授けられた。フィリピンのマリッサ・ダエットもモスト・フェミニン賞の候補にのぼったが、体の方が予選落ちなので、ミドル・クラス2位のジョセフィーヌに決ったのだった。
ミドル・クラス優勝とベスト・ポーザー賞を獲得し、今大会人気No.1だった須藤ゆき選手
▲モースト・フェミニン賞を獲得したジョセフィーヌ・チュア
▲ライト・クラス比較審査。左から3位・アグネス、2位・飯島、1位・大垣
戦い終ってよろこびの日本ティーム。左から大垣選手、遠藤選手、飯島選手、松山、後藤マネジャー、須藤選手、増渕監督
第2回アジア女子ボディビル選手権レポート
ーーーアジア連盟女子委員会委員長 松山 令子ーーー
この問題は、今やアメリカでも大きく取りあげられ、論じられている。いかに筋肉が発達しても、その筋肉でつくる体が女性らしさを失っていては、女性ボディビルダーの体としては失格である、というのである。今後、世界中でこの問題がクローズ・アップされていくことは間違いないことである。
私は日本の女性ビルダー達に、真剣に提案したい。私たちのゴールは筋肉隆々たる中性的な体をつくることではない、と。
どんな場合にも、女らしい形の体をつくるための筋肉の形、筋肉の大きさを目指して努力してほしい。女と生れてきた幸福は人から美しいといわれることである。特に女性は男性から美しいといわれることが幸せである。どんな大きいトロフィーもタイトルも、女らしさを失った不幸をつぐなうには足らない。
具体的なことを云わせていただくならば、日本のコンテストで、ひたすら皮下脂肪の除去を最大最終の目的としているような選手の体を見かけるが、皮下脂肪の除去を考えるよりも先に考えねばならないことは、女らしい体の形をつくるために必要な筋肉の大きさをつくることである。これが出来てから、余分の脂肪を除去すればよいのである。
まだ充分な筋肉が出来ていないのに脂肪を除去すれば除去するほど、女性ビルダーの体として優秀になると考えるのは間違っている。
ミス・オリンピアその他の世界レベルの女性コンテストの写真を見ればわかるが、ミス・オリンピアであるユリー・エバソンはじめ多くの女性トップボディビルダー達は、筋肉を発達させて女らしい体をつくることに専念している。決して筋肉そのものを誇示するようなことはしていない。鼠蹊部(大腿のつけ根)に、およそ女らしくないゴリゴリした凸凹を見せている人などひとりもいない。
メイキャップにしても、髪型にも、ポーズにも、いかに女らしく美しく、そして可愛らしく自分を見せるかという工夫がなされている。これでこそ女性のボディビルが世の中から愛され、従って、これをしようという女性がふえ、女性のボディビルが普及するのである。
女性ビルダーは、筋肉を鍛える目的が、女らしく美しく、そして健康な体をつくることにあることを忘れてはならない。審査員は、このような目的を逸脱して、筋肉だけを追いもとめて、中性的な体をつくった女性ビルダーにトロフィーを与えてはならない。審査による誤った評価は、後進の女性ボディビルダーの進路を誤らせる。
女性ボディビルダーが、中性的な体をつくるときは、世の中は女性のボディビルを抹殺してしまうだろう。日本の女性ボディビルダーたちよ、永遠に若々しく、美しく、女らしく、可愛いらしくあれ!
さて、第2回アジア女子ボディビルディング選手権は無事に成功裡に終了した。すべてを終って場外に出ると、篠つくばかりの大雨だった。ホテルに帰り、また例の2階のティールームで大きいテーブルを囲んで、日本チームはささやかな祝盃をあげた。4人の参加選手で、2つの優勝と2位ひとつ、4位ひとつという戦果は輝かしいものだ。後藤さん、増淵さんの顔には責任を果した安堵と喜びが溢れていた。私は心から、みなさんにご苦労さまといった。
後藤さんの英語がよく役に立って、終始、国際親善にも、ティーム・マネジャーとしての任務遂行にも、いささかの支障がなかった。
1980年アジア選手権(インドネシヤ)に選手として参加し、体重測定までに規定通りの体重にふやすべく、食べに食べ、飲みに飲んだ(水を)若々しく華々しかった増淵選手は、いまや貫録充分な選手監督に成熟した。今回は後藤、増淵両氏ともIFBB国際ジャッジのライセンスを持っているので、後藤さんはライト・クラス、増淵さんはミドル・クラスのジャッジングに加わった。(このため、ミドル・クラスの写真を増淵さんが取ることができなかったという不便はあったが)
4人の選手は善戦して日本の面目を保った。日本チィーム万才である。
ただひとつ、ここで頂門の一針としていいたいことは、選手の中のひとりが、無思慮にも個人的行動をして、そのために後藤、増淵両氏に何かと神経を使わせ、また、台北空港到着の際にも、出迎えの主催協会の役員の方々を待たせるなど、遺憾な行動をしたことである。団体の一員として行く時は、自分の一挙手一投足がまわりの人々へ影響することをつねに念頭から離さず慎重に行動してほしい。
◇3月31日ーーーーーー表敬訪問、観光、晩餐会
私はかねてから、いのちのある間に是非ここを訪れたいと思っていたが、思いがけず、今回その願いが叶った。さらに望外の仕合せとして、この博物院観覧のための最高の解説者を得た。それは誰あろう、驚くなかれ、われらの仲間である増淵聖司その人である。
何故、彼が最高の解説者であるかという理由は、昭和45年に日本政府が大阪で万国博覧会を開催したとき、時の台湾政府はそこのパビリオンに台湾の宝物である故宮博物院の美術品を展示した。その時、増淵さんは、縁あってその陳列品の目録を編集してつくる仕事を引受けたのである。昭和45年といえば今から16年前である。若き日の増淵さんは、インドネシアで選手として戦った時の増淵さんよりも、もっと素晴らしかったのである。
このような因縁で、生字引きのような増淵さんは、私に重点的にいいものばかりを選んで見せ、詳細な説明をして下さった。このご恩を私は一生忘れない。美しい数々のこの博物院の美術彫刻と共に。
昼食は市内のローマ・ホテルのレストランで、皆でかわるがわる歌などをうたって楽しい時を過ごした。
夜は、名前は失念したが、台北で有名な豪華なレストランで、ステージでくりひろげられる数々のショウを見ながら、おいしい台湾料理を満喫した。
◇4月1日ーーーーーー観光、さよならパーティー
ここを終えて、バスは市内を通り抜けて鳥来峡へと観光の旅に向う。ちょうど日本でいえば箱根のような美しい山峡である。山のふもとでバスを降り山路を歩いて山の中腹にあるケーブル・カーの乗場へ。ケーブル・カーを降りて、眼のくらむほど数の多い石段をのぼって、頂上にあるレストランへ。そこで昼食が出た。
こういう間、台湾協会の人々の、私の悪い脚をいたわるこまやかな思いやりは、泪の出るほどありがたかった。充分にお礼がいえないほどだった。
ケーブル・カーまでの山路を、タクシーがないのでパトカーで運んでくださった。両側に協会の役員が坐り、その真中の私は、まるで逮捕されて連行される犯人のようだといって大笑いした。たくさんの石段をのぼる時も皆がかわるがわる手をかして下さった。
昼食後、皆が山歩きに行った時、そこに残った私のために2人の方が残って、私の無聊を慰めてくださった。英語と中国語で苦労しながら至極楽しい時間を過ごした。
山歩きから帰ってきた皆と合流して再びバスで空港ホテルに向かう。夕方ホテル着。やがて、さよならパーティーが始まった。楽しい行事も終り、明日はお別れかと思うと、お互いになつかしさもひとしお深まる。最後の夜は静かに更けた。
◇4月2日ーーーーー台北空港発→羽田空港着
12時30分に台北空港を離陸したCI011は、16時10分、予定通り羽田に着いた。5日ぶりの日本である。行くときと、帰ったときの何という気持のちがいだろう。戦いを前にしたときの緊張はすっかりとけて、いまは台湾で会って心のふれあった人々へのあつい感謝で心がみちている。
国際コンテストは戦いであると同時に、何という心温まる国際親善であるだろう。それゆえにこそ、私達は、次もまた行こうと決心するのである。
最後に、今回の選手権でひとかたならず手厚いお世話をして下さった台湾協会の方々へ心から深くお礼申しあげたい。
無口だけれど、温い思いやりにみちた葉瑞峰台湾協会々長、空港への送迎のほかにもいろいろ親切にして下さった宗福昌大会副委員長、ユーモアあふれるチン・チ・チェン氏(鄭清淇氏、IFBBジャッジ)、やさしく静かな鄭宗明氏のまごころこもったお世話に心からお礼申し上げたい。
とりわけ、高雄市で整形外科医院を経営する喬瑛氏(葉会長の親友でジョージとみんなから呼ばれ、自家用車を持ち込んで一切を無料奉仕でこんどの行事を助けてくれた人)には何とお礼をいっていいかわからないほどお世話になった。この人はまるで八面六臂という言葉を絵に描いたような人で、その心配りのこまやかさ、そのエネルギーの無尽蔵さには、驚く以外になかった。今回、外国から台湾に行った人でこの人のお世話にならなかった人はないと思う。
台湾とは、何を措いても、人々の心の温かい国である。私たちはこの国の人々の心の温かさを学ばねばならないと思う。これまでに数え切れないほど多くの国を訪れ、いろいろな人達と心がふれあったが、そういう面では、台湾は大きい果実を私に与えてくれた国である。真感謝!
(了)
チャイニーズ・タイペイ・ボディビルディング協会の葉瑞峰会長と私
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