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ニュース 1983年6月号

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月刊ボディビルディング1983年6月号
掲載日:2020.10.26

■JPA国際部ニュース……国際部長・吉田進

〔1〕ハワイ国際招待パワーリフティング大会

 毎年恒例のハワイ国際招待大会、今年は4月5日、シェラトン・ホテルの大ホールに3000人の観衆を集めて盛大に開催された。特に今年の大会前は何人かのリフターが世界記録を書き換えると発言して、ファンにとっては非常に興味深い大会となった。

 その内の1人、4月号で紹介した125kg級のテッド・アーシディーが「ベンチプレスで278.5kgの世界記録はぜったい破る」と公言したほか、110kg級に体重を増やしたフレッド・ハットフィールドが、「現在の力ならスクワット425kg狙える」と言うなど、試合前から早くもフィーバーぎみであった。

 さて蓋を開けてみると、56kg級は日本からただ1人招待された因幡選手が、スクワットで世界最高の240kgを軽くクリアーして、トータル577.5kgで優勝。デッドリフトは手がすべって2回目、3回目の230kgはどちらも不成功。

 またしてもスモウ・スタイル・デッドリフターにとって、海外のローレット加工部分の狭いシャフトがいかに不向きかという見本になってしまった。今後、世界選手権を目ざす日本選手はトレーニングにそれなりの工夫をする必要があるだろう。

 クラスはとんで67.5kg級。地元ハワイの人気選手、エデイー・モリシマの登場である。もともとこの大会は、ヘビー・クラスに重きを置いたショー的要素の大きいもので、因幡選手やこのモリシマ選手の場合は、世界記録を作るための檜舞台を主催者が用意してくれたという所であろう。日系人モリシマ選手の場合、トータルとベンチプレスが強く、この試合でもトータル717.5kg、ベンチ182.5kgと、67.5kg級としては世界トップ・クラスの記録であった。とくにベンチプレスでは3回目に195kgの世界最高を狙ったが、これは惜しくも失敗であった。

 100kg級では、ジム・キャッシュが「まるでボディビルダーのような切れのある体」で出場、あっさり優勝を決めたが、7月の全米選手権を目標にしているためか、記録は平凡であった。このクラスで目立ったのは、3位になった地元ハワイのフランシス・シルバのベンチプレス242.5kgであろう。パシフィコが引退したあとの久々の本格的なベンチプレッサーである。

 さて、ハット・フィールドの出場する110kg級であるが、彼はスクワットのスタートを何と400kgにしたのである。しかし、残念ながら彼はこの試技で、しゃがんだ時に大腿四頭筋を切ってしまい、そのまま病院へ直行ということになってしまった。昨年の全米選手権では肩を痛め、また今回の事故と、彼にとっては不運な年が続いている。その結果、このクラスは125kg級から1クラス落としてきたステイーブ・ウィルソンが970kgの好記録で優勝した。

 125kg級は、そのスティーブ・ウィルソンを追いやった張本人、ダン・ウォルバーがトータル985kgで優勝している。彼はデッドリフトの2回目に387.5kgを軽く成功させたあと、史上最強のデッドリフターの名に恥じない410kgに挑戦したのであるが、惜しくも手がすべってパーを落としてしまった。

 ベンチプレスの世界最高を狙うテッド・アーシディーはまずスクワットで200kgを挙げておいて、ベンチプレスに集中し、期待どおり285kgの世界最高をマークした。

 スーパーヘビー級には、昨年のこの大会で445kgのスクワット世界記録を出したドゥエイン・フェリーが出場したが、彼はこの大会前は練習不足で225kg×5回を2セット程度しかしていない状態であったらしい。しかし彼をよく知っている人によれば「彼は317.5kgが3回しか出来ない時でも410kgは挙げられる人間だから、なんとかなるだろう」という事で大会に臨んだのである。結果は、412.5kgをなんとか成功させているのだから、やはり一発に強いフェリーならではというところか。

 この国際招待パワーリフティング大会の上位入賞者の成績は次のとおりである。

◇ハワイ国際招待パワーリフティング大会結果(3位迄)

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〔2〕フィンランド・パワーリフティング選手権大会成績(優勝者のみ)2月26・27日ラーティ市

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■第1回全九州女子、第4回全九州新人パワーリフティング選手権大会(4月24日於・福岡大学)

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■第15回神奈川県パワーリフティング選手権大会 4月10日 於・リコー厚生年金基金会館(厚木)

〔注〕オープン参加の67.5kg級・太田雅之選手(19歳・浜松)がベンチプレス115kg,デッドリフト205kg, トータル495kgのジュニア日本新記録を樹立。また女子67.5kg級・藤井美恵選手(19歳、浜松)もベンチプレス61kgのジュニア日本新記録を樹立した。 (記録・江坂昭作)

〔注〕オープン参加の67.5kg級・太田雅之選手(19歳・浜松)がベンチプレス115kg,デッドリフト205kg, トータル495kgのジュニア日本新記録を樹立。また女子67.5kg級・藤井美恵選手(19歳、浜松)もベンチプレス61kgのジュニア日本新記録を樹立した。 (記録・江坂昭作)

■第5回埼玉県パワーリフティング選手権大会 4月17日 於・志木市民体育館

〔注〕☆印はジュニア日本新(記録・福屋好博、溝畑貞雄)

〔注〕☆印はジュニア日本新(記録・福屋好博、溝畑貞雄)

第1回鹿児島県パワー・チャレンジ大会 3月27日 於.YSトレーニングセンター

 1983年度第1回鹿児島県パワー・チャレンジ大会が3月27日、川内市のYSトレーニングセンターで開催された。このチャレンジ大会は、自己の限界に挑戦し、肉体的にも精神的にも健全な体力づくりを目指すとともに、正しいボディビルの普及を図ることが目的で、県下の4ジムから20名の参加があり、スクワット、ベンチプレス、チニング、シットアップ、プッシュアップの5種目を競った。各種目の優勝者と総合成績は次のとおり。
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■第10回東京都パワーリフティング選手権大会 3月27日 於・小平市立第六小学校体育館

〔注〕◎印は日本新、☆印はジュニア日本新を示す。(東京都パワーリフティング協会事務局長・伊東亜細亜)

〔注〕◎印は日本新、☆印はジュニア日本新を示す。(東京都パワーリフティング協会事務局長・伊東亜細亜)

■第3回愛知県パワーリフティング女子選手権大会 第4回愛知県高校パワーリフティング春季選手権大会 4月17日 於・愛知県体育館

 (愛知県パワーリフティング協会理事長=尾田秀男)

 (愛知県パワーリフティング協会理事長=尾田秀男)

■第3回近畿パワーリフティング選手権大会 昭和58年4月3日 於・神戸市立中央体育館

〔注〕90kg超級にオープン参加した小出新一選手(大阪府、35歳)はベンチプレスで215kgの日本新をマークした。 (写真・記録=吉田忠男)

〔注〕90kg超級にオープン参加した小出新一選手(大阪府、35歳)はベンチプレスで215kgの日本新をマークした。 (写真・記録=吉田忠男)

〔近畿パワーリフティング選手権優勝者と役員〕

〔近畿パワーリフティング選手権優勝者と役員〕

第2回春季広島県パワーリフティング選手権大会成績 3月27日 於・近畿大学体育館

 (記録=広島県パワーリフティング協会・片岡篤憲)

 (記録=広島県パワーリフティング協会・片岡篤憲)

■第2回女子沖縄県パワーリフティング選手権大会 3月6日 於・奥武山体育館

〔注〕☆印は日本新記録、◎印は日本タイ記録を示す。 (沖縄県協会理事長・仲村昌英、事務局長・桑江良尚)

〔注〕☆印は日本新記録、◎印は日本タイ記録を示す。 (沖縄県協会理事長・仲村昌英、事務局長・桑江良尚)

■星野和夫選手28人抜き--勝抜き腕相撲復活

 テレビ東京の勝抜き腕相撲が復活した。毎週月曜日から金曜日まで、夜10時50分から5分間番組で、10人抜いてグアム、20人でハワイ、30人でヨーロッパ招待旅行の特典がある。

 復活第1日目の4月11日、第1試合で今城良選手が大橋政司選手を破り初代チャンピオンになったが、つづく第2試合で早くも滝沢英一選手にその座を奪われた。

 滝沢選手(2代目チャンピオン)は4人抜き、4月13日に登場した小林登選手に敗れた。小林選手(3代目)は11人抜いてグアム旅行獲得第1号となる。

 小林選手に勝った岩沢隆彦選手(4代目)が8人抜いたあと、4月27日に登場した星野和夫選手(5代目)は11人目に松本清(遠藤光男TC)、20人目に水谷邦臣(78ミスター千葉)戦などの山場もあったが、これらの強豪も次々と破って28人抜き、5月17日、森本文博選手に負けた。6代目チャンピオンとなった森本選手は、5人目に、過去の対戦で負けている大塚弥平選手の挑戦を受けたが、今度はこれに勝って、5月20日現在、7人抜き継続中である。

 (レポート=小山 勝)

■第9回1983年度全四国パワーリフティング選手権大会(優勝者) 4月24日 於・高松市鉄工体育館

〔註〕◎印はジュニア日本新、☆印は四国新を示す。(記録=中尾達文)

〔註〕◎印はジュニア日本新、☆印は四国新を示す。(記録=中尾達文)

■第9回愛知県パワーリフティング選手権大会 昭和58年4月24日 於・名城大学体育館

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■須藤孝三選手が四日市市にジム開設

 ミスター日本、ミスターユニバースで優勝し、その後プ口ビルダーに転向した須藤孝三選手が去る5月9日、四日市市にジムを開設し、後進の指導にのりだした。ジムの概要は次のとおり。
名 称 SUDO’S.GYM
所在地 四日市市
設 備 50坪、男女別サウナ、シャワー、ロッカー、各種最新式器具完備、駐車場有
月刊ボディビルディング1983年6月号

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