1980ミスター・オリンピア・コンテスト
フラッシュ・レポート
月刊ボディビルディング1981年3月号
掲載日:2020.04.23
ビル・レイノルズ(マッスル・フィットネス編集長)
訳=松山令子
訳=松山令子
アーノルド・シュワルツネガーは、彼自身の7度目のオリンピア・タイトルを手に入れるべく、過去5年間のコンテストからの引退生活にピリオドを打ち、さまざまな論争の中で、1980年10月4日、オーストラリヤのシドニーのオペラ・ハウスで開かれた1980ミスター・オリンピア・コンテストに参加して、7度目のミスター・オリンピアのタイトルをかちとった。
この巨大な体のアメリカ人的オーストリヤ人は、IFBBのジャッジ7人による3ラウンドの戦いのあと、観衆を湧きに湧かせたポーズ・ダウンで、7人のジャッジ中、5人の1位の票を得た。
2位はクリス・ディカソンで、彼はいままでに最高の体であった。3位はフランク・ゼーンで、彼はパーム・スプリングスの自宅でケガをし、そのため充分なトレーニングが出来なかったので、今までよりはやや落ちた体調であった。4位は驚異的に進歩したボイヤー・コウ、5位はコウと同点のマイク・メンツァー、6位はオーストラリヤの誇るロジャー・ウォーカーである。
この6名の入賞者以外の選手は、ロイ・キャレンダー(カナダ)、デニス・ティネリノ(USA)、エド・コーニー(USA)、サミール・バンノー(レバノン)、トム・ブラッツ(USA)、ケイシー・ヴィエタ(USA)、ダニー・パディラ(USA)、ロイ・デュバル(イギリス)、トニー・エモット(イギリス)、ケン・ウォーラー(USA)のいずれも世界レベルの優秀な選手たちであった。
以上の16名によって戦われた1980ミスター・オリンピア・コンテストは、写真で見られるとおりの豪華この上ないシドニー・オペラ・ハウスで、オーストラリヤ連盟会長ポール・グラハム氏によって開催せられ、多大の成果を収めた。
このオリンピア・コンテストのすべてを次号でご紹介したいと思う。興味深い個々の選手の状況、コンテストをめぐっての論争など、また100枚に及ぶ生き生きとした写真は、あなたを、さながらこのコンテストを自分の眼で見られたかのような境地にみちびくことだろう。
この巨大な体のアメリカ人的オーストリヤ人は、IFBBのジャッジ7人による3ラウンドの戦いのあと、観衆を湧きに湧かせたポーズ・ダウンで、7人のジャッジ中、5人の1位の票を得た。
2位はクリス・ディカソンで、彼はいままでに最高の体であった。3位はフランク・ゼーンで、彼はパーム・スプリングスの自宅でケガをし、そのため充分なトレーニングが出来なかったので、今までよりはやや落ちた体調であった。4位は驚異的に進歩したボイヤー・コウ、5位はコウと同点のマイク・メンツァー、6位はオーストラリヤの誇るロジャー・ウォーカーである。
この6名の入賞者以外の選手は、ロイ・キャレンダー(カナダ)、デニス・ティネリノ(USA)、エド・コーニー(USA)、サミール・バンノー(レバノン)、トム・ブラッツ(USA)、ケイシー・ヴィエタ(USA)、ダニー・パディラ(USA)、ロイ・デュバル(イギリス)、トニー・エモット(イギリス)、ケン・ウォーラー(USA)のいずれも世界レベルの優秀な選手たちであった。
以上の16名によって戦われた1980ミスター・オリンピア・コンテストは、写真で見られるとおりの豪華この上ないシドニー・オペラ・ハウスで、オーストラリヤ連盟会長ポール・グラハム氏によって開催せられ、多大の成果を収めた。
このオリンピア・コンテストのすべてを次号でご紹介したいと思う。興味深い個々の選手の状況、コンテストをめぐっての論争など、また100枚に及ぶ生き生きとした写真は、あなたを、さながらこのコンテストを自分の眼で見られたかのような境地にみちびくことだろう。
選出せられた7人
マイク・メンツァー
アーノルド・シュワルツネガー
最高グループの4人
フランク・ゼーン
クリス・ディカソン
シュワルツネガー(左) メンツァー
背中の比較審査。右からディカソン・ゼーン・メンツァー・シュワルツネガー、コウ
サミール・バンノ―
ダニー・パディラ
ボイヤー・コウ
ケン・ウォーラー
1980ミスター・オリンピア・コンテスト会場の、シドニー・オペラ―・ハウス(オーストラリヤ)
フランク・ゼーン
ケイシー・ヴィエタ
アーノルドの優勝のあいさつ
月刊ボディビルディング1981年3月号
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