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月刊ボディビルディング1981年10月号
掲載日:2020.07.09
■1981年度第2回ミスター秋田コンテスト 佐藤幸雄選手2年連続優勝
第2回ミスター秋田コンテストは、8月9日、秋田市文化会館で行われた。その結果、上位3名が大接戦で、誰が勝つか予想がつきかねる勝負だったが、僅差で佐藤選手が昨年につづき2連勝を飾った。なお、6位までの入賞者は次のとおり。 (レポート・写真=嵯峨次夫)
1位・佐藤幸雄(94点)
2位・工藤栄(91点)
3位・田口好夫(73点)
4位・佐藤順悦(46点)
5位・小貫山光男(37点)
6位・嵯峨次男(19点)
1位・佐藤幸雄(94点)
2位・工藤栄(91点)
3位・田口好夫(73点)
4位・佐藤順悦(46点)
5位・小貫山光男(37点)
6位・嵯峨次男(19点)
[第2回ミスター秋田コンテスト。左から2位・工藤、1位・佐藤、3位・田口]
■JPA国際部ニュース………国際部長・吉田進
① 因幡、伊藤、ワールド・ゲームで優勝
国家、政治から独立した、真のスポーツの場を創造しようというスローガンのもとに、今年7月24日から8月2日まで、アメリカのカルフォルニア州サンタクララで開かれたワールド・ゲーム第1回大会にパワーリフティングも参加し、日本からはIPFの指名によって52kg級の因幡英昭選手と60kg級の伊藤長吉選手の2人が参加した。
この大会は、オリンピックと違い、国と国でスポーツを争うのではなく、あくまでも個人対個人で戦うというワールド・ゲームの基本理念にのっとって、両選手は、日本代表というのではなく、アジア・オセアニア代表としてサンタクララに乗り込み、2人そろって優勝した。ただ、残念だったのは、ワールド・ゲーム開催委員会とTV局との契約問題の遅れから、両選手にIPFから支払われる予定だった往復旅費が出なくなったことである。しかし、大会は世界新記録も生まれ、第1回大会としては、まずまずの盛り上がりを見せたようである。
各クラスの成績は次のとおり。
この大会は、オリンピックと違い、国と国でスポーツを争うのではなく、あくまでも個人対個人で戦うというワールド・ゲームの基本理念にのっとって、両選手は、日本代表というのではなく、アジア・オセアニア代表としてサンタクララに乗り込み、2人そろって優勝した。ただ、残念だったのは、ワールド・ゲーム開催委員会とTV局との契約問題の遅れから、両選手にIPFから支払われる予定だった往復旅費が出なくなったことである。しかし、大会は世界新記録も生まれ、第1回大会としては、まずまずの盛り上がりを見せたようである。
各クラスの成績は次のとおり。
② 1981年度ヨーロッパ・パワーリフティング選手権大会結果――1981,5/8~5/10
ヨーロッパでは、毎年、開催国を変えながらヨーロッパ選手権大会を開いている。今年はイタリアのパルマ市で開催され、89人の選手がヨーロッパ各地から集まった。
ヨーロッパと日本のレベルを比較すると、52kg級から60kg級までは日本が強く、67.5kg級以上では、やはりヨーロッパ勢の方が強いのがわかる。ただし、その差はアメリカと比較した場合ほど大きくはなく、日本の目標としてとらえるのに良い記録ではないかと思える。
各クラスの上位3名までの選手は次のとおり。
ヨーロッパと日本のレベルを比較すると、52kg級から60kg級までは日本が強く、67.5kg級以上では、やはりヨーロッパ勢の方が強いのがわかる。ただし、その差はアメリカと比較した場合ほど大きくはなく、日本の目標としてとらえるのに良い記録ではないかと思える。
各クラスの上位3名までの選手は次のとおり。
③ 1981年度全米パワーリフティング選手権大会
ワールド・ゲームに先んじること2週間、アメリカはテキサス州コーパス・クリフティ市で行われた全米選手権大会は、例年、世界選手権大会と並んで世界記録の続出する熱狂の大会なのだが、今年は猛暑のためか、有名選手の失格が相次ぎ、世界記録も5つしか出ないという、近年まれな大会になってしまった。なお、この大会の各クラス優勝者は、56kg級をのぞいて10名が、11月にインドで行われる世界選手権大会に出場することが決った。
この大会でとくに活躍した選手の1人に、75kg級のリック・カーグラーがいる。彼のトータル845kgは、あのマイク・ブリッジスの記録を破ったもので、ブリッジスも、こんなに早く自分の世界記録が破られるとは思ってもいなかったであろう。
当のブリッジスは、大会のたびに2つか3つの世界記録を生み出していた怪物なのだが、彼も人の子、やはり異常な暑さには勝てず、ベンチ・プレスの237.5kgの1つの世界記録に終ってしまった。それにしても、世界記録1つでは調子が悪いと云われるのが彼の凄いところである。
100kg級では、カムバックをねらっていたラリー・パシフィコが、スクワット355kg、ベンチ・プレス235kgと、ベストではないが、まずまずの健闘をしていたが、指の負傷から完全には回復していないのか、デッド・リフトのスタート重量352.5kgを3回とも失敗して失格してしまった。このクラスの優勝はジェイムス・キャッシュで、彼は2週間後のワールド・ゲームで世界記録を更新することになる。
110kg級では、ジョン・クック(1980年度世界チャンピオン)が1年間の休養のため出場せず、新人のダン・ホルバーがスクワットの世界記録と共に優勝した。
注目のスーパー・ヘビー級は、6月22日~26日に行われたワールド・ストロンゲストマン・コンテストで、優勝はしたものの大胸筋をひどく痛めたビル・カズマイヤーの欠場で、主役を欠いた形になってしまった。また、ワディングトンは、今年に入って、公認にはならなかったが地方大会でスクワット455kgの大記録を出しており、大いに期待されたが、同じくワールド・ストロンゲストマン・コンテスト(3位)の疲れから回復しておらず、スクワット425kg、ベンチ250kgときて、デッド・リフトではスタート重量が上がらず、ついに失格してしまった。
しかし、さすがアメリカ、スーパー・ヘビー級の層は厚く、ポール・レンがスワクワットで442.5kgの世界新を出し、トータルでも昨年の世界チャンピオン、ドイル・ケネディを押さえて優勝したのであった。
各クラスの上位入賞者は次のとおり。(◎印は世界新)
この大会でとくに活躍した選手の1人に、75kg級のリック・カーグラーがいる。彼のトータル845kgは、あのマイク・ブリッジスの記録を破ったもので、ブリッジスも、こんなに早く自分の世界記録が破られるとは思ってもいなかったであろう。
当のブリッジスは、大会のたびに2つか3つの世界記録を生み出していた怪物なのだが、彼も人の子、やはり異常な暑さには勝てず、ベンチ・プレスの237.5kgの1つの世界記録に終ってしまった。それにしても、世界記録1つでは調子が悪いと云われるのが彼の凄いところである。
100kg級では、カムバックをねらっていたラリー・パシフィコが、スクワット355kg、ベンチ・プレス235kgと、ベストではないが、まずまずの健闘をしていたが、指の負傷から完全には回復していないのか、デッド・リフトのスタート重量352.5kgを3回とも失敗して失格してしまった。このクラスの優勝はジェイムス・キャッシュで、彼は2週間後のワールド・ゲームで世界記録を更新することになる。
110kg級では、ジョン・クック(1980年度世界チャンピオン)が1年間の休養のため出場せず、新人のダン・ホルバーがスクワットの世界記録と共に優勝した。
注目のスーパー・ヘビー級は、6月22日~26日に行われたワールド・ストロンゲストマン・コンテストで、優勝はしたものの大胸筋をひどく痛めたビル・カズマイヤーの欠場で、主役を欠いた形になってしまった。また、ワディングトンは、今年に入って、公認にはならなかったが地方大会でスクワット455kgの大記録を出しており、大いに期待されたが、同じくワールド・ストロンゲストマン・コンテスト(3位)の疲れから回復しておらず、スクワット425kg、ベンチ250kgときて、デッド・リフトではスタート重量が上がらず、ついに失格してしまった。
しかし、さすがアメリカ、スーパー・ヘビー級の層は厚く、ポール・レンがスワクワットで442.5kgの世界新を出し、トータルでも昨年の世界チャンピオン、ドイル・ケネディを押さえて優勝したのであった。
各クラスの上位入賞者は次のとおり。(◎印は世界新)
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