第3回世界ベンチプレス選手権大会
月刊ボディビルディング1993年5月号
掲載日:2020.02.21
12月8日~9日高尾市(台湾)
レポート/吉田 寿子
レポート/吉田 寿子
日本女子団体優勝!!
今年で3回目を迎える世界ベンチプレス選手権大会は、台湾パワーリフティング協会が初めて主催する世界大会となった。
台湾では、政府が世界大会を主催するため、開会式の華やかさ、選手、役員の宿泊費援助など規模や予算は他国とは比べものにならない程大きい。しかし政府の行事の為か、日程が全て平日で、台湾選手の様にパワーリフティングが仕事ではない日本人選手にとっては、日程の調整で苦しめられることとなった。
また今回は、アジアパワーリフティング連盟(APF)吉田進事務局長、前田都喜春日本チーム副団長、吉田寿子APF事務次長(私)の国際レフェリー3人にとっては、「隣の国の友達」と言うことで、一人何役もこなさなければならない大変忙しい大会となった。
今回我が日本チームは、開催が台湾と近い事も手伝ってか、女子7名男子11名のフルエントリーで、12月中旬といってもまだ寒くない台湾は高雄市に乗り込んだ。
台湾では、政府が世界大会を主催するため、開会式の華やかさ、選手、役員の宿泊費援助など規模や予算は他国とは比べものにならない程大きい。しかし政府の行事の為か、日程が全て平日で、台湾選手の様にパワーリフティングが仕事ではない日本人選手にとっては、日程の調整で苦しめられることとなった。
また今回は、アジアパワーリフティング連盟(APF)吉田進事務局長、前田都喜春日本チーム副団長、吉田寿子APF事務次長(私)の国際レフェリー3人にとっては、「隣の国の友達」と言うことで、一人何役もこなさなければならない大変忙しい大会となった。
今回我が日本チームは、開催が台湾と近い事も手伝ってか、女子7名男子11名のフルエントリーで、12月中旬といってもまだ寒くない台湾は高雄市に乗り込んだ。
日本チーム全メンバー。世界大会の優勝に感無量の山崎選手(後列中央)だったが・・・・・・
やっと"帰って来た"67.5kg級国弘選手
大トロフィーにこぼれる笑顔
結果から言うと、今回日本チームはかなりの好成績を残した。中でも女子は総合団体優勝を果たし、大トロフィーを日本まで持ち帰ることができた。
まず最初に場内の一番高いところに日の丸を昇らせたのは、72.5kgに成功し優勝した48kg級の渡辺通子選手(新橋TC)であった。つづく52kg級では、第一試技から世界大会新記録をマークした山田弘美選手(岸和田TC)が85kgの記録で他を寄せ付けず圧勝した。
そして60kg級の山崎頼子選手(金太郎TC)は心配された減量の影響もそれほどなかったようで100kgを挙げて優勝し、日本の女子では初めて、世界大会での最優秀選手賞を獲得した。
しかし、日本チーム全体が山崎選手の優勝に沸く中に、突然日本から山崎選手のお姉さんの計報が飛び込み、山崎選手は優勝の喜びもつかの間、急遽日本へと帰国することとなった。我々もショック状態の山崎選手を励ますことしかできず、「人生は何が起こるかわからん」と言う前田副団長の言葉を心の中で噛み締めた。
44kg級では山本明美選手(FCマグレブ)が減量に苦しみながらも67.5kgという自己ベストを出し4位に入った。順位だけではなく、大会で自己ベストを出し、持てる力を出し切った満足感は選手に次への夢を与えてくれるはずだ。また山本選手と同じ44kg級ではもう一人、エアロビクスのインストラクターをしている浅見由理香選手(中野ヘルスクラブ)が52.5kgを挙げ、6位に入賞した。こういう選手がベンチプレス大会に出場し、世界でも活躍してくれることは、ベンチプレスシングル大会を日本において企画主催した、吉田進のパワーリフティング拡大の目標が、実を結んで来ていることではないかと思う。さらに多くの選手の参加、活躍を期待したいものである。
『やっと帰ってきた』、國弘梅代選手(ステイヤング)は67.5kg級で、惜しくも100kgには失敗したが97.5kgの記録で3位に入賞した。しばらく競技から遠ざかっていた彼女だが、世界でもトップ3に入る実力を持つだけに、多忙の事とは思うが、なんとか練習時間を作って頂いて、第一線で活躍して欲しい。
大会のわずか4日前になって、1日早く来いと言う台湾側の我がまま(?)に、万障繰り合わせて、私と共に人足先に台湾へ乗り込んでくれたのが、岩崎ボディビルクラブの岩崎会長とその教え子の岡田選手。岡田選手は75kg級に出場し、87.5kgを挙げ見事銅メダルを獲得した。
まず最初に場内の一番高いところに日の丸を昇らせたのは、72.5kgに成功し優勝した48kg級の渡辺通子選手(新橋TC)であった。つづく52kg級では、第一試技から世界大会新記録をマークした山田弘美選手(岸和田TC)が85kgの記録で他を寄せ付けず圧勝した。
そして60kg級の山崎頼子選手(金太郎TC)は心配された減量の影響もそれほどなかったようで100kgを挙げて優勝し、日本の女子では初めて、世界大会での最優秀選手賞を獲得した。
しかし、日本チーム全体が山崎選手の優勝に沸く中に、突然日本から山崎選手のお姉さんの計報が飛び込み、山崎選手は優勝の喜びもつかの間、急遽日本へと帰国することとなった。我々もショック状態の山崎選手を励ますことしかできず、「人生は何が起こるかわからん」と言う前田副団長の言葉を心の中で噛み締めた。
44kg級では山本明美選手(FCマグレブ)が減量に苦しみながらも67.5kgという自己ベストを出し4位に入った。順位だけではなく、大会で自己ベストを出し、持てる力を出し切った満足感は選手に次への夢を与えてくれるはずだ。また山本選手と同じ44kg級ではもう一人、エアロビクスのインストラクターをしている浅見由理香選手(中野ヘルスクラブ)が52.5kgを挙げ、6位に入賞した。こういう選手がベンチプレス大会に出場し、世界でも活躍してくれることは、ベンチプレスシングル大会を日本において企画主催した、吉田進のパワーリフティング拡大の目標が、実を結んで来ていることではないかと思う。さらに多くの選手の参加、活躍を期待したいものである。
『やっと帰ってきた』、國弘梅代選手(ステイヤング)は67.5kg級で、惜しくも100kgには失敗したが97.5kgの記録で3位に入賞した。しばらく競技から遠ざかっていた彼女だが、世界でもトップ3に入る実力を持つだけに、多忙の事とは思うが、なんとか練習時間を作って頂いて、第一線で活躍して欲しい。
大会のわずか4日前になって、1日早く来いと言う台湾側の我がまま(?)に、万障繰り合わせて、私と共に人足先に台湾へ乗り込んでくれたのが、岩崎ボディビルクラブの岩崎会長とその教え子の岡田選手。岡田選手は75kg級に出場し、87.5kgを挙げ見事銅メダルを獲得した。
100kg級197.5kgに成功した名城選手
優勝の喜びに笑顔がこぼれる60kg級白川選手
男子チームも頑張った!
もちろん、日本男子チームも頑張った。団体では過去最高の4位。個人では60級で142.5kgの世界大会新記録をマークした白川猛士選手(詫間TC)が見事優勝の栄誉に輝いた。白川選手は、同じ階級に出場している伊差川選手(パワースポーツ)の故障を気使い、肩をマッサージするというライバルに対する思いやりを見せていた。普段なら160kgは挙げる実力を持つ伊差川選手だが、やはり怪我には勝てず、130kgに終わり、3位となった。パワーリフティングは年齢に関係なく、故障さえ直せばいつでも復帰できる競技だと思う。来年の7月のワールドゲームスに単身、日本を代表して出場する予定の伊差川選手の活躍に期待したい。
伊差川選手の肩を気使う白川選手
1976年の世界パワーリフティング大会、60kg級で第2位、また元パワーリフティング・ベンチプレス世界記録保持者と言う輝かしい実績を持つ67.5kg級の富永義信選手(富永会計事務所)。仕事とバーベルを両立させ、20年以上も日本で、そして世界で活躍を続けている。素晴らしい『気合』と共に、会場の声援を受け、157.5kgを挙げて4位に入賞した。
75kg級に出場した長屋正臣選手(スポーツジム玉村)は第3試技の申告が遅れ(1分以内に行わなければならない)、棄権と見なされてしまい、ベストが1本目の160kgになってしまった。彼の実力からすれば不本意な結果であろう。この教訓を受けて、東京都では次の大会からは、なるべくIPF方式にのっとって大会を開催し、世界大会に出ても、戸惑うことのないような対策を講じることを決定した。
82.5kg級は、選手の力がかなり接近しており、激戦が展開された。日本選手はおしくも177.5kgに成功できなかった井本全保選手(延岡パワー愛好会)が172.5kgで4位、170kgを挙げた池秀員選手(愛知県警)は5位に入賞した。
90kg級では好調の噂を耳にしていたニ沢守選手(堺トレーニングプラザ)が体調を崩してしまったらしく体重がかなり減り、記録は170kgで6位に(国内では197.5kgを挙げている)、また昨年このクラスで195kgをマークし、今年こそメダルを、と期待された安富祖貞光選手(那覇ジム)も調整に失敗したのか、160kgに終わり8位であった。両選手の実力を思えばこんなものではないはず。次の大会での活躍を待ちたい。
『どないする!3位やで!』『岡田が3位て、やりにくいなァ』と自らの教え子、女子75kg級の岡田選手の健闘を喜んでいた岩崎選手に、自分の出番がやってきた。岩崎選手は125kg級にエントリーしていたが、体重が増えず、110kg級に変更して欲しいとの申し出があり、前日の会議でクラス変更した。ところが、各国選手のエントリー表を見て、当日の検量で再び125kg級に戻した。世界大会では、出場したいクラスの検量に参加出来る限り、クラス変更は可能だ。戦いはエントリー表を見た時から始まっているのだ。
そしてこの作戦は見事成功。岩崎選手は日本選手として初めて、重量級での銅メダルに輝いたのだ。
75kg級に出場した長屋正臣選手(スポーツジム玉村)は第3試技の申告が遅れ(1分以内に行わなければならない)、棄権と見なされてしまい、ベストが1本目の160kgになってしまった。彼の実力からすれば不本意な結果であろう。この教訓を受けて、東京都では次の大会からは、なるべくIPF方式にのっとって大会を開催し、世界大会に出ても、戸惑うことのないような対策を講じることを決定した。
82.5kg級は、選手の力がかなり接近しており、激戦が展開された。日本選手はおしくも177.5kgに成功できなかった井本全保選手(延岡パワー愛好会)が172.5kgで4位、170kgを挙げた池秀員選手(愛知県警)は5位に入賞した。
90kg級では好調の噂を耳にしていたニ沢守選手(堺トレーニングプラザ)が体調を崩してしまったらしく体重がかなり減り、記録は170kgで6位に(国内では197.5kgを挙げている)、また昨年このクラスで195kgをマークし、今年こそメダルを、と期待された安富祖貞光選手(那覇ジム)も調整に失敗したのか、160kgに終わり8位であった。両選手の実力を思えばこんなものではないはず。次の大会での活躍を待ちたい。
『どないする!3位やで!』『岡田が3位て、やりにくいなァ』と自らの教え子、女子75kg級の岡田選手の健闘を喜んでいた岩崎選手に、自分の出番がやってきた。岩崎選手は125kg級にエントリーしていたが、体重が増えず、110kg級に変更して欲しいとの申し出があり、前日の会議でクラス変更した。ところが、各国選手のエントリー表を見て、当日の検量で再び125kg級に戻した。世界大会では、出場したいクラスの検量に参加出来る限り、クラス変更は可能だ。戦いはエントリー表を見た時から始まっているのだ。
そしてこの作戦は見事成功。岩崎選手は日本選手として初めて、重量級での銅メダルに輝いたのだ。
ベストリフターに輝いたスタナゼック(ポーランド)
+125kg優勝のベルガー選手(オーストリア)と。さすがの西川選手も小さく見える
重量級初の銅メダルの125kg岩崎選手
そして、もう一人の岩崎会長の教え子、西川亘選手(岩崎ボディビルクラブ)。日本ではデカイな~という彼も、世界のスーパーへビー級に囲まれるとなんだかかわいくみえる。195kgを挙げ、5位に入賞した。若い西川選手の今後が楽しみだ。
師匠の岩崎選手とそろって銅メダル、岡田選手
"友達の国"台湾では日本役員も忙しい
楽しさを分かち合いたい
世界連盟(IPF)の技術委員長は車椅子の生活の中で、マラソン、バスケットなど様々なスポーツを経験して来ているスウェーデンの人だ。彼は自分が各種スポーツの補助運動として行って来たベンチプレスを広め、身障者の人々にも世界大会に参加できる機会を作りたいと努力を尽くし、この世界ベンチプレス選手権大会に身障者部門を作った。いつもパワーリフティングの世界大会には必ず来ており、車椅子を忙しく走らせて、IPFの要となって、技術委員会を運営している。
身障者の人々のベンチプレス台に向かう真摯な姿や、愛情をもって組織された大会は、人々の心を打ち、現地の新聞にも大きく報道された。日本でも、近い将来シングルベンチプレス大会に身障者部門を設けようという声が上がっている。ルールはIPF方式に従い、体重は膝下のない場合は検量体重の18分の1を加算し、片足のない場合は同じく9分の1を、両足のない場合は6分の1を加算するといった規定となる。また特殊な幅の広いベンチプレス台を使用し、ベルトを体に巻いて体を固定することも許されている。
シングルベンチプレス大会をIPFが世界大会として開催しているのも、また身障者部門を設けているのも、少しでも多くの人とベンチプレスやトレーニングの楽しみを分かち合う機会をつくり、パワーリフティングの普及に努めて行きたいと考えているからである。そしてこれは同時に、日本パワーリフティング協会の願いでもあるのだ。
身障者の人々のベンチプレス台に向かう真摯な姿や、愛情をもって組織された大会は、人々の心を打ち、現地の新聞にも大きく報道された。日本でも、近い将来シングルベンチプレス大会に身障者部門を設けようという声が上がっている。ルールはIPF方式に従い、体重は膝下のない場合は検量体重の18分の1を加算し、片足のない場合は同じく9分の1を、両足のない場合は6分の1を加算するといった規定となる。また特殊な幅の広いベンチプレス台を使用し、ベルトを体に巻いて体を固定することも許されている。
シングルベンチプレス大会をIPFが世界大会として開催しているのも、また身障者部門を設けているのも、少しでも多くの人とベンチプレスやトレーニングの楽しみを分かち合う機会をつくり、パワーリフティングの普及に努めて行きたいと考えているからである。そしてこれは同時に、日本パワーリフティング協会の願いでもあるのだ。
3rd World IPF Single Championship Benchpress 9.12、1992
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