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3RD WORLD GAMES 1993.7.25 in Netherlands

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月刊ボディビルディング1993年11月号
掲載日:2020.03.05
 4年に一度の非オリンピック競技を集めたスポーツの祭典。それがワールドゲームスだ。1981年にアメリカでパイロット大会が行われ、それ以降第1回大会はイギリスで、第2回大会はドイツはカールスルーエで行われ、パワーリフティングはこれら全ての大会に参加してきた。

 当然今回のオランダ、バーク市で行われた大会にもパワーリフティングは公式競技として参加している。日本からは56kg級の伊差川選手がアジア地区の代表の一人として参加した。伊差川選手は1981年のパイロット大会に因幡選手と共に参加して以来、全てのワールドゲームスに参加している。

 日本からはボディビルディング、空手などの様々な競技が参加しているが、パイロット大会を含め4回連続参加というのはパワーリフティングの伊差川選手だけだろう。

■ワールドゲームスにはどうしたら参加できるのか?

 ワールドゲームス委員会からパワーリフティングに振り分けられる時間は、1日4~5時間の2日間。という事は自ずと参加人数に制限ができる。検量の時間を2時間取ると、正味競技の時間は約3時間。この間にこなせる人数はせいぜい20人程度だ。そこでIPF(国際パワーリフティング連盟)は南北アメリカ大陸、ヨーロッパ、アフリカ大陸、アジア、オセアニア大陸の3地区から男女それぞれ6名ずつを集めて、男子18名、女子18名で大会を行う事になっている。

 我々アジア地区は、オセアニア地区と話し合った末、男子は6名全員、女子は4人がアジアからという事になった。IPFでは各地区からの参加者の約半数は各地区の事務局長(アジアでは私)に任せ、残りの半数はIPFが直接指名する方式を取っている。私は公正を期する為に、最近2年間のアジアの選手の国際大会での成績をフォーミュラによって順位づけし上位から決めて行った。

 日本からは因幡、伊差川、前田の3選手に権利があったが、2名が怪我などを理由に辞退した為結局伊差川選手唯一人となった。女子については台湾勢が圧倒的に強く、3名が選ばれた(大会当日になって2名のインドネシア男子選手と1名のインド女子選手が参加していない事が分かった。早めに連絡してくれれば他の選手の参加が可能だったのに……)。

 このようにワールドゲームスの選手に選ばれるという事は実に難しい事なのだ。参加選手はほとんど世界選手権でメダルを取れる選手ばかりである。参加すれば、少なくとも世界のトップ選手達による素晴らしいショーが見れる事は確実である。

 但し18名では、各クラスごとに勝負を決めるには人数が少なすぎるので、18名を6名ずつ軽量級、中量級、重量級の3クラスに分け、その中でフォーミュラで順位を決める事になっている。観客にとっては重量だけでは順位が分からないのが珠に傷である。

 2001年にはワールドゲームスが日本の西宮で開催される事が決まったそうである。日本ではなんとかパワーリフティングにまる2日をさいてもらいたい。そうすれば何とか各クラスごとの勝負を見る事ができると思う。

 今回は日本選手は1名と寂しかったが、役員は3名参加する事ができた。2001年の日本開催を睨み、日本ワールドゲームス委員会が各団体にワールドゲームスの視察を要請して来た為だ。今回はパワーリフティングチームの団長として斎藤浩JPA理事長が、コーチ兼レフリーとして私吉田進と吉田寿子が参加した。次回の1997年の開催地は南アフリカだが、少しでも多くの選手、役員が参加できればと思う。

■いよいよ試合が始まる

 7月24日、夕方から女子の部の検量が始まった。予定より一時間遅れての開始だが、これは会場を他のスポーツと兼用しているからで、つい今し方まで行われていたローラーホッケーの終了が遅くなった為だ。前回のワールドゲームス、1989年のドイツ、カールスルーエ大会では、パワーリフティングはボディビルディングと同じ市民ホールを与えられ、ステージに素晴らしいセッティングを行えたが、今回は体育館の床にセットするという、いささか寂しいセッティングだ。

 そういえばバーク市に着いてから、指定されたホテルに行くと「ここではない」と断られ、ワールドゲームス委員会の事務局を探して変更になったホテルを探すなど、どうもバーク市のワールドゲームス担当者の手抜きが気になった。期間中他国の選手、役員も今度の大会は段取りがだめだと言っているのを良く耳にした。日本で行う時はこんな事の無い様にしてもらいたいものだ。

 さて、いよいよ女子の部が始まった。世界のトップクラスだけを集めただけに、さすがに皆強い。

 例えば軽量級。ワールドゲームスではフォーミュラ・トータルで争う為に皆きちんと体重は落としていないので、44kg級の選手も、45~46kg位の体重でトータル350~352.5kgを出している。44kgに減量してこの記録を出せたら誰でも世界チャンピオンになれる。この時レフリーをしていた吉田寿子は、今までに何度か戦って一度も負けた事のないアメリカのアン・レベレッタが余裕で352.5kgを出したのを見て、ショックを受けたようだった。このクラスの優勝は体重48.7kgのコニャック(フランス)で記録は377.5kg。それよりも、まだジュニアのクリストバル(スペイン)が、体重51.5kgで387.5kgを出した事の方が将来性が感じられ、48、52kg級の選手にとっては脅威だ。

 中量級では世界新記録も出た。ノルウェーのアムダルが、60kg級でスクワット205kgを出したのだ。この日本の男子選手も真っ青な記録を出したアムダルは、普段は可愛い女の子なのに試合が始まると人格が変わるこわーいお姉さん。2~3年前はトータル400kgも行かなかったのに今回は482.5kg。物凄い伸び方だ。

 このクラス1位はアメリカのおちびちゃんボードゥロー。皆からはキャリーと呼ばれていた。3種目共教科書のような素晴らしいフォームで、体重56.3kgでトータル482.5kgを出した。

■男も逃げ出すキャシー・ミランの強さ!!

 重量級ともなると女子でも体の大きさが凄い。腕の太さではドイツのヘンケルハイン。脚はアメリカのコルソン。全身のバランスではニュージーランドのキャシー・ミラン。特にキャシー・ミランは、絞り込んでボディビルのコンテストに出たら日本の男子選手もたじろぐであろう程のバルク。上腕には太い血管が浮き出ている。そしてその記録はというと………。

 スクワットは1本目の230kg(2本目以降は確か250kg近い重量に挑戦していたがしゃがみが浅く赤ランプがついていた)。ベンチプレスは150.5kgの世界新。この世界新は12年前にベブ・フランシスがハワイで作った、女子の一番重い記録を破ったものだ。そしてデッドリフトがなんと257.5kgの世界新。トータルも女子で地上最強の637.5kgの世界新。81.5kgの体重でこのトータル。もう少しで全日本男子の標準記録に手が届く。あー恐ろしい。

 脚が一番太かったコルソンはスクワット245kg。腕が一番太かったヘンケルハインは96.8kgの体重でベンチプレス142.5kgの世界新。彼女たちと夜道ですれ違う時は気をつけなければならない。もし殴られたりでもしたら5m程吹っ飛んで気を失う事になるだろう。残念な事にこの女子の部で写真が無いのは、試合開始5分前にオセアニアの代表のフォン氏に、オーストーラリアのスタントンのセコンドを頼まれ、良い写真が撮れなかったため。悪しからず。
残念ながら失格に終ってしまった伊差川

残念ながら失格に終ってしまった伊差川

重量級優勝のジーン・ベル(左)中量級優勝のシュラム。共に筋肉の発達が凄い(右)

重量級優勝のジーン・ベル(左)中量級優勝のシュラム。共に筋肉の発達が凄い(右)

■伊佐川選手の不運

 2日目の7月25日。男子の部が始まった。伊差川選手にはセコンドとして、父である斎藤浩JPA理事長に同行した、斎藤達也がついてくれる。

 今日はローラーホッケーが予定通り終了したので、検量とコスチュームチェックも予定通りに始まった。しかし、ここで伊差川選手に不運な事が起こった。

 この検量に先立つ事数時間前、せっかく世界中からIPFの執行部が集まるというので、IPFのエクゼキューティブミーティングが開かれた。私もアジア地区代表として出席した。この中で今大会からベンチTシャツとスーツについて、IPFに公認料を納めたメーカーの物のみを許可しようと言う事になってしまった。ところが、この時点では、伊差川選手の使用する予定だったフランツ社(ダイアナTシャツ)は、IPFに公認料を払っておらず、結局伊差川選手は使用を認められず、インザーTシャツをアメリカの選手から借りて着るはめになってしまったのだ。

 さて、今日は私は陪審員席から試合を見る。肝心の伊差川選手だが、今日のスクワットのスタート姿勢はなぜか前傾がきつい。2本目十分深くしゃがんだのに失敗したのは、この前傾のせいだ。3本目になるとチーフレフリーはついにスクワットの号令を与えなかった。伊差川選手はやはり肩の故障が思わしくないのだろうか? そしてベンチプレスは152.5kgのスタート。調子の良い時ならアップの重量だが、今日はどうだろう。一本目はやや重い。そして少し傾いた。赤ランプがついて失敗。今日はIPFの大会の中でも厳しい方に入る判定だ。2本目は軽い。しかし赤ランプ2つ。陪審員席からも尻が浮くのが見えたが、一応レフリーに確認を取りに行くとやはり尻だという。

 あと1チャンスしか無い。3本目なぜか伊差川選手はベンチTシャツを脱いで出てくる。急遽着る事となったインザーTシャツがうまく合わないのだろうか?そして気合を入れてバーベルに向かうが、これが上がらず残念ながら失格になってしまった。日本から唯一人の参加選手だっただけに残念だ。観客席から大声で応援していた斎藤理事長も無念そうな表情だった。しかし伊差川選手には世界の舞台はまだまだ沢山ある。気を落とさずに頑張ってほしい。

■90kg級筋肉対筋肉の戦い

 男子の部は、インドネシアの2人が欠場するなど、結局12名での大会となったが、特に90kg級の戦いが面白かった。

 昨年の世界大会ではデッドリフトの逆転でアメリカのスライ・アンダーソンがドイツのシュラムに2.5kg差で勝った。しかしアンダーソンは今年、つい4週間前の全米選手権でジーン・ベルに僅かの差で敗れてしまった。世界チャンピオンも負けるアメリカのレベルの高さ! そのジーン・ベルも、このワールドゲームスに参加しており、3選手による夢の対決となった。

 ジーン・ベルは背は低いがバルクではNO.1。3種目に安定した強さを発揮する。スライ・アンダーソンはかっこ良さでNO.1。ボディビルにも出場する体は、パワーリフターというより、ボディビルダーの体だ。シュラムの体は何と言ったら良いのだろう? 全身物凄いバルクで、脂肪も薄い。しかしあまりにもモコモコに筋肉がつき過ぎて、かっこ良さを通り越してしまっている。まるで人造人間だ。試合が終わってみるとシュラムがスクワットの355kg、ベンチプレス227.5kg、デッドリフト305kgでトータル887.5kgと、世界大会を上回る記録で優勝。スライ・アンダーソンは全米選手権の疲れが取れず、842.5kgと不調で2位。ジーン・ベルは体重が91.1kgだった為に1つ上の重量級で順位がつき、1位。トータルは870kgでやはりシュラムにはかなわなかった。しかしジーン・ベルも全米選手権の疲れを引きずったままでこの記録なので、今年の世界大会はシュラム対ジーン・ベルの凄まじい戦いが見られそうだ。

 その他で目立った選手は、ストラップ引きちぎり男ナレキン(ウクライナ)。125kg級でトータル947.5kgを出した。世界大会ではアメリカのカルウォスキーとの戦いが楽しみ。

 110kg級ではイギリスの20歳の若者レイノルズが、ベンチプレス230kgのジュニア世界新を出した。と言う事は、彼は19歳で100kg級の世界チャンピオンになっていたのだろうか? 最近は若手が強い。

■IPFの公認問題

 ここで先程のベンチシャツの公認問題についてもう一度触れておこう。昨年11月のIPF会議で数年振りに公認になったベンチTシャツについて、ルールブックには次のように書かれている。

 「1993年1月1日より、インザーTシャツと、それに類似のベンチTシャツを試合で着用しても良い」

 そこで今年より世界各国で様々なベンチTシャツが使われだしたのだが、IPFは「IPFの技術委員会が承認し、かつメーカーが公認料を支払ったもののみ、IPFの主催する大会での着用を許可する」という様に、メーカーの公認制を明確化し始めたのだ。そしてその公認制を実行するのが、このワールドゲームスからと言う事になったのだ。

 エグゼキューティブミーティングで、私が「今現在公認料を納めているメーカーは何社か?」と質問するまで、どのメーカーが公認されているかが明確でなかったと言う所にも、IPFの公認制の動きが急であることが分かる。このような経過があって、このワールドゲームス時のベンチTシャツの公認メーカーは、インザー社とクレイン社の2社で、伊差川選手が使用予定だったフランツ社のダイアナTシャツは入っていなかった。しかしこれはその日まで分からなかったのだ。

 フランツ社に聞いてみたところ、もうとっくに公認申請は出しているそうで、ところがIPFから何も言って来ないのだそうだ。と言う事で、フランツ社がIPFから公認されるまで、世界大会では使用できないと言う事になる。

 日本ではどうかと言うと、例えばIPFの公認バーベルはエレイコだが、JPAが認めているニッピョーや上坂は日本では使えるし、世界記録も公認される。同じ様にIPFが正式にフランツ社のものは公認できないと言っているのでは無い以上、JPAの技術委員長が認めれば、フランツ社のダイアナTシャツの日本での使用は問題は無いと思う。この原稿を書いている時点ではJPAの結論は出ていないが、近いうちに答えは出るだろう。

■2001年 日本への旅

 こうしてパワーリフティングの2日間は終わった。次のワールドゲームスは、南アフリカでの開催だ。南アフリカというのはスポーツに非常に力を入れている国。つい最近までアパルトヘイトの為対外的な活動を制限されていたが、きっと4年後は素晴らしい大会を開いてくれるだろう。今回のバークの大会が、前回の大会に比べ多少力不足を感じさせただけに、次の南アフリカは大いに期待したい所だ。そしてさらに4年後の2001年。日本での開催では、非オリンピック種目も広く全世界の人々の目に触れるようになって欲しい。

 今回日本ワールドゲームス委員会から、玉利事務局長(JPA副会長でもある)を始め、多くの方々がこの大会を視察された。8年後は、大いに期待出来そうである。
この角度ではわかりにくいがやや腰の前傾が大きい

この角度ではわかりにくいがやや腰の前傾が大きい

重量級2位のナレキン(左)中量級2位のスライ・アンダーソン。(右)世界選手権が楽しみだ

重量級2位のナレキン(左)中量級2位のスライ・アンダーソン。(右)世界選手権が楽しみだ

WORLD-GAMES 1993

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月刊ボディビルディング1993年11月号

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