フィジーク・オンライン

“継続する大切さを伝えたい”ボディビルダー堺部元行

この記事をシェアする

0
掲載日:2016.08.16
記事画像1
トレーナーとして、幅広い層のクライアントにトレーニング指導を行う傍ら、自らも現役ボディビルダーとして今もなお、国内外のコンテストに挑戦し続けている堺部元行(さかべ もとゆき)氏。

今回は、彼の長年に渡るボディビル人生を振り返ると共に、NPCJ理事としてのコンテスト運営にかける情熱、さらに指導者として、現役ボディビル選手として、トレーニングを始めたばかりの方々へ向けた激励のお言葉を頂戴した。

自分の体の変化に気付き「これしかない」と思った

記事画像2
― 小学生の頃から水泳を始めるなど、幼少期からスポーツ経験がありますが、元々競技パフォーマンスを上げるためにウェイトトレーニングに力を入れるようになったのでしょうか。
いや、違うんですよ。僕は、小学生から大学生までずっと水泳をやってて、当時84年のロサンゼルスオリンピックの頃だったので、そこに照準を合わせて命をかけてやっていたんですよ。だけど、実力が伴わなかったんです。大学卒業後も、まだ水泳を続けたくてその大学に2年間研究員として在籍しました。

研究員として水泳の研究をしながら現役生活を送っていたんですけど、まあ、自分の体力のなさっていうのを強く感じるんですよね。僕は日体大なんですけど、水球がとても強くて。今回オリンピックに行く水球選手たちの監督が、大学時代の僕の二つぐらい下の方なんですけど、「水の格闘技」って呼ばれるぐらいなんで、ウェイトトレーニングもすごく頑張っているんですよ。それで、当時水球の監督に、僕の体の幼稚さを指摘されて、自分自身もトレーニングをやっていくなかでも練習量が全然足らないなって思っていました。

結局2年間、大学の研究員を務めたんですけど、教授からある高校に行けって言われて、体育の教員として高校に就職をしたんですね。でも、近所のスイミングクラブには続けて通っていて、選手コースに入れてもらうなどして水泳は長く続けていたんです。それでも練習量が足らない。そんな思いがあり、学校の施設でウェイトトレーニングを始めたんです。

― 学校の施設というと、設備はそこまで充実していないのではないでしょうか?
意味もなく、毎日ベンチプレスばっかりしてましたね。その頃も、毎日毎日プールに行ってて、プールに鏡があるじゃないですか。そこで自分の体が明らかに変わっているのを見て「あ、俺もうこれしかないな」と思ったんですよね。俺は水泳ではなく、こっち(ボディビル)の素質があるなって思っちゃったんですよ。

― 変化が目に見えると嬉しいですもんね。
そうそう。だから、水泳はもう辞めようと思って。それが26歳の時ですかね。当時は、その歳で水泳をやっていたのは僕だけだったので、すっぱりやめて、ボディビルをやろうと思ったんです。

見様見真似で出場した初めての大会

記事画像3
― 初めて出場した大会は千葉ですか?
そうです。ただ、ボディビルのボの字も分からないし、昔のボディビルジムってコーチは何も教えてくれなかったから、見様見真似ですよ。“レップ”っていう言葉すら分からなかった。何だろうと思いながら、トレーニングバイブルとかエンサイクロペディア(百科事典)とか、自分で調べながらトレーニングしました。

でもある時、そこのコーチに「とにかく食べなきゃだめだ」って言われたんですよ。僕はこう見えて、すごく真面目なんで(笑)、入会した7月1日の時点では68キロでしたが、12月の忘年会の時期には98キロまで増量しました。コンビニを見かけたら食べ物を買って、そうやって毎日自分に目標をつけてやるのが好きなんですよ。だから例えお腹いっぱいでも、おにぎり一個買って食べるとかね。

そういうことを続けていたら98キロぐらいになって、翌年のボディビルコンテストに出ろって言われていたので、「次はどうしたらいいんですか?」って聞いたら「減量しろ」って言われたので、3ヶ月で40キロぐらい減量したかな。

― 肉体的・精神的、共にとても厳しかったのでは?
でもね、初めてだから出来たんですよ。何を食べたらいいのか分からないし、何をしていいか分からない。当然ポージングもそうです。当時はビデオもありませんでしたから、月間ボディビルディングにポージングのコーナーがあったので、それを毎日熟読していました。

その頃のボディビルってまだバブルの時期だったので、千葉でも80~90人ぐらいのエントリーがあったんですよ。翌年からクラス別になったぐらいですから。何も分からず出場しましたが、千葉から日本大会に進む優秀な人が何人もいたし、千葉のレベルが高かったんですよ。

初めて出た時の結果は7位。これじゃあだめだ、と思って一年間を準備期間として出場するのを止めたんですよ。その翌年、千葉の大会で優勝して、でも結局それが僕の限界だったんです。

― しかし、わずか一年で優勝を手にすることは簡単に真似できることではないですよね。
地方大会ってコンテストに出場する良いきっかけにになると思うんですけど、地方大会で優勝しても、次の大会で必ず大きな壁にぶち当たるんですよ。だから、そこで心が萎えちゃう人も大勢いるんです。

千葉で優勝したあとは大きな大会への出場資格が与えられるわけですから、東日本、関東など様々な大会に出場しましたけど、全てラインナップしたら終わりなんですよ。一年努力して、三ヶ月減量して一生懸命やってるのにステージに立つのはわずか10秒ぐらい。それで、「はい、もう午前中で終わったから帰っていいですよ」っていう、あっけない終わり方にすごく疑問を抱いたんですよ。

当然、悔しいし自分に実力がないのも分かってるんですよ。でも、社会人になってから始めることは、何事も何らかの娯楽性と達成感を与えてあげないと、絶対に広がっていかないんですよ。だから僕はコンテストの運営に携わることになった時に何度も皆に「選手たちをステージに一秒でも長く居させてあげて」って言ったんです。トップの選手って何回も呼ばれるし、そりゃあ充実感があるんですよ。でも僕は15年ぐらい不遇の時代があって、ずーっとダメで。それでも諦めることなくここまでやってきたんです。

NPCJコンテスト運営にかける想い

記事画像4
― ご自身の経験をもとに、現在NPCJのコンテスト運営に活かしていらっしゃるのですね。
コンテストっていうのは、あくまでも「その日の結果」に過ぎないと思うんです。でも大切なのはプロセスだし、そのプロセスをみんなが共有することで、そのことを誉めてあげないと、その人のやってる価値観は絶対に見い出せると思うから。だから、必ずジャッジにも言ってるんですけど、僕はコンテストの運営に関しては、トップ層を手厚くするのは当然の事ですが、下の方の選手も見てあげて、終わったらアドバイスをしてあげなさいと。

オリンピアのトップ選手の頑張りと、一般選手または初めてコンテストに出場する選手の頑張りって、扱う重さが違うだけで、頑張ってることに変わりはないから。全員が頑張ってるから、そのプロセスを評価するのはコンテストしかないんですよ。

僕自身がそのような苦い経験をしてきているので、出るんだったら全員に日の目が当たって、皆から称賛されて、駄目でも良くても、「よく頑張ったね」って言われるコンテストをやりたいっていうのがコンテストを開いた最大のポイントなんですよ。身体を仕上げて、遠方までお金をかけて苦労して行って10秒で終わりですよ。「俺は何のために来たんだろう」って思う人もいるはず。僕はね、絶対そういうことはあっちゃいけないと思う。

根底にあるのは選手に対するリスペクトだと思う。ジャッジたちも偉そうに見ているだけじゃだめで、なぜ良かったか、悪かったかって評価するべきなんです。良くても悪くても声掛けられるだけで救われるんですよ。順位つかなかった選手は、「あぁ見てくれたんだ」って気持ちになるじゃないですか。だからそういう風に、誰しもが褒められたいし評価を受けたいんですよ。

― 苦しい時期を経験した堺部さんだからこそのお考えですね。
それらが根底にあるし、僕だってコンテスト終わって、駄目だったら本当に心折れるし、心の底から涙が出るし、とても辛い。でも、辞めたら全て終わりですからね。だから僕は今の若い選手や、初めてコンテストに出ようとしている選手に言うんですけど、やめたら終わりですから。勝つまでやるだけ。絶対いつかは勝てるはずだから。僕はしつこいですから、実力がないからやるんですよ。だから、今の子達もあきらめずに徹底的にやってもらいたいですね。高校の部活ぐらいに、泣けることが40歳50歳になってあるわけですから。

― いいですね。そのような気持ちはいつの間にか薄れてしまうものですよね。
だから、NPCJでなぜ「ファミリー」や「キッズ」というカテゴリがあるかというと、いつも選手っていうのは自分だけっていう自我ばっかりが出てくるんですよ。やっぱり、家族や、子供たちをないがしろにしてまで打ち込みたくなるものなんですよ。だけど、それって家族として良い傾向ではないじゃないですか。

そのために、奥さんと子供の家族揃って一緒になって出場できるようにしたんです。そうすると、奥さんはお父さんに対して「頑張ってきなさいよ。息子は私が面倒みて、水着の用意もするし、黒くして勝てるようにするから。」っていう光景が家族の中であると、遠慮なく行けるんですよ。

― そうですね。やはり家族の時間を犠牲にしなければならないこともありますよね。
そうなんです。奥さんだけが浮かばれないんです。だから僕は、「ファミリー」と「キッズ」もこれから順位をつけていかなきゃいけないと思う。本音を言えば、そこで表彰するのはお母さんですよ。(笑)お母さんが頑張ったから子供たちも勝てるし、お父さんも勝てるんです。そういう風に、家庭の時間が犠牲にならないようにコンテストの競技としてのあり方も考えていく必要がある。

ニューヨークで行われた大会を振り返る

6月にニューヨークで行われたBEV FRANCIS ATLANTIC STATES CHAMPIONSHIPS 2016

6月にニューヨークで行われたBEV FRANCIS ATLANTIC STATES CHAMPIONSHIPS 2016

― 6月にNYで行われた大会について、今年で3年連続出場ですが、振り返ってみていかがですか?
レベルが高かったですね。自分の出たボディビルに関しての話なんですけど、本当にレベルが高かった。いやー惨敗っていう意味で言えば本当に大惨敗でしたね。
バックステージでのパンプアップ

バックステージでのパンプアップ

― その原因をどのようにお考えですか?日本での調整不足ということでしょうか?
自分としては、一番ベストな準備ができていたし、体的にも良かった。それに調整方法も掴んだと思っていますけど、やっぱり自分自身のポテンシャルが低い。それを根本的に直していかなくちゃいけないと感じました。まあ、僕は50歳でオーバーオールを獲りたいっていう夢があったんですけど、ちょっと軌道修正して、無謀かもしれませんが60歳でオーバーオールを獲れるように頑張ってます。IFBBプロの山岸選手とも今回約束したんですけど、「僕は60歳までNPCに挑戦するから、山岸選手も死ぬまで挑戦してくれ」って。

― 海外という舞台で勝つための秘策はあるのでしょうか?
まあでも、今回のニューヨークはボディビルのレベルが高かった。自分自身、反省することは山ほどあるんですけど、今回大山(大介)君がオープンで二位になったっていうのはすごく価値が高かった。ただ、大山君の身長までだったら日本人は勝つ可能性が高い。その上の更にツーカテゴリのアッパーになると、太刀打ちするのが難しいと感じたな。

身長が高い人が海外に挑戦するのであれば、死ぬ気で頑張らないとだめ。身長が低い大山君以下までの人、NPCJの上位選手で言うと廣川(翔一)君クラスだと圧勝するね。やっぱりね、日本人のポテンシャルはものすごく高い。だからこそ、チャンスはすごくあると思うんだ。ただ身長が高いクラスになるとバルクも全体的なカッティングも全てパーフェクトじゃないと勝てないから。

ボディビルもそうなんですよ。日本人はミドル級、ライト級までは絶対優勝するんですよ。ライトヘビーっていう90キロ以上っていうのは、海外ではとんでもないのがいっぱい居るから。だからこそチャレンジのしがいがあるんですけどね。だから、日本人が勝つためには、完璧なコンディションが必要で、バルクを残そうとしちゃ駄目です。
IFBBプロ山岸秀匡選手、NPCJ庄司会長、大山選手、池田選手

IFBBプロ山岸秀匡選手、NPCJ庄司会長、大山選手、池田選手

― 今後、海外コンテスト出場に向けて考えていることはありますか?
今回大山君が出場して、NOVICEクラスで2位、オーバーオールで優勝、それからOPENクラスで2位になりました。池田君はNOVICEクラスに出場したけど順位はつかなかった。でも、総合的にみんなが楽しんでコンテストに楽しんで出場してくれたことはすごく嬉しかったし、なおかつ終わった後に悔しいって思いを抱いているということは、ニューヨークまで行った甲斐があるし、良い経験になったと思う。

ただ僕としては、アトランティクシティの大会は3年目なので、今後は場所を変えようかなと思ってる。例年と異なるコンテストに自分自身がチャレンジすることで、刺激になるし、新たなプロモーターもいて面白いかなって。来年はビクターマルチネスが、プエルトリカンだけ集めてやるコンテストが、コロンバスであるんですよ。それが今年からやるようで、そのコンテストがあってその前週か何かにニュージャージーステイツがあるみたいだから、二週連続で出れるから、来年は二週連続で出てみようかなと。
(左)Arnold Classic 212で優勝を果たした山岸選手と(右)Mr.Olympia9連勝中のIris Kyle選手

(左)Arnold Classic 212で優勝を果たした山岸選手と(右)Mr.Olympia9連勝中のIris Kyle選手

― 二週連続は、とてもハードですね。しかもまた、新たなコンテストを開拓するということでコンテストの事前調査が必要になってきますよね。
そうですね。まあ、幸いに僕はそういうのが好きなので、自分が出場できる大会っていうのは今のNPCJの人たちも出場できると思うので、少しずつプロモーターを囲って、コンテストに出場していいよという体制を作り、誰もが出場しやすい環境にしたいと思っています。

実は山岸選手とIris Kyle(アイリス・カイル)選手に、NPCJの選手たちが行けるように、ラスベガスでの受け入れ体制を整えて欲しいとお願いしているんですよ。それで、今回アメリカに行った時にマーク・アンソニーと会ったんですけど、彼もNPCJの活動に協力してくれるって言ってるんで。

だからNPCJとして去年がロサンゼルス、今年がニューヨーク、来年はどこになるか分かりませんが、定期的に行って選手に夢と希望を与えてあげたい。行ける人も行けない人も含めて、「いつかは行こうよ」という意味も含めてね。

ボディビルの考え方として「続けることが大切」

記事画像9
― NYで開催されたコンテストに向けて国内で行ったトレーニングメニューやスケジュールを教えて下さい。
僕はね、トレーニングっていうのはすごくシンプルに考えていて、40分以内で終わらせることを常に意識しているんですよ。トレーニング時間っていうのはあくまでも動いている時間の事を言うんですよ。皆さんトレーニング時間は何分?って聞くと、だいたい2時間っていうんですけど、10回動かす、10レップスだいたい15秒ぐらい、4セットだと1分ですよ。それに3分間を4セットする休みをつけると、実はそれだけで15分になっちゃうんですよ。でも一分だけで4回出来るわけですから、それをずーっと延々に続けていったら40分っていったら死ぬほどのボリュームがあるんですよ。だから僕はそういう風にしてるんです。トレーニング中にインターバルを一切取らないし、続けて続けてっていうのが僕は好きなんです。

― インターバルなしとは、ずいぶん追い込みますね!
追い込むってよりも、僕の基本的な考えを例えるなら、自分の体をアメ車のようにしたいんですよ。要は、カマロのような大きい車は、6000~7000CCのエンジンがついてるからこそ、その車が使えるんですよ。でもみんなは、カマロの車を目指しているにも関わらず、エンジンは軽自動車だから大きくなれないんです。だから心臓を鍛えて心肺機能を上げていかなければ筋肉は絶対につかないです。だから10回で息切れしているようだったら、絶対筋肉はつかないです。

― なるほど。大きくするためにそのようなポイントがあるんですね。
だからそれを主眼にして、最初は吐いたり気持ち悪かったりしましたけど、今はもうずーっと延々に続けて行って、10回っていうセットで終わることは無いですね。大体僕は最低でも30回ぐらいを一つのセットにしてやってるので。

― 扱うのは高重量ですよね?
そんなことないです。軽い重量でやります。軽いって言っても、皆さんが扱う重量ぐらいはいきますけど。(笑)でも、重い重量もたまにはありますよ。今でもスクワットだったら230キロぐらいできるし、ベンチだって180キロを10回ぐらいできます。でもそれは、怪我のリスクがあるんですよ。もう歳なので怪我はしたくなくて、怪我をしないための練習へとシフトしていったんです。

でも若い子というのは、重いものをどんどん扱っていくべきだと思ってるんですけど、それ以上にもっと心臓を鍛えないといけないね。「一緒にトレーニングしましょう」って言って来る人はよくいますけど、意外とウォーミングアップで吐いてますから。やっぱそれだけ、みんな対乳酸については弱いんですよ。

だから昔の何もない時代にあれだけの体を作り上げたアーノルドたちのトレーニングというのはボリュームですからね。朝晩二回トレーニングやって、レップスは10回で終わらずに何十回何十回っていうトレーニング。よく、雑誌なんかで「オーバートレーニングに気を付けろ」って書いてあるんですけど、そんなことないです。僕にとっては、全員がアンダートレーニングです。

― 様々な考え方や理論がありますからね。
でも筋肉っていうのは究極に辛い状況にさらされないと作れないんですよ。その究極に辛い状況っていうのを日々作りあげることの出来る人っていうのは天才ですよ。だって、自分が死ぬか生きるかの状況や条件を作り出さなくちゃいけないんですから。

だから僕はオンもオフもトレーニング内容は変わらないです。胸、肩、腕、足、背中、胸、肩…これの繰り返しだから、365日のなかでは休みはない。「あ、明日休もう」って事はないですね。仕事の関係で出来ないなって時は休みますけど、僕のトレーニング時間は40分だから合間に時間を抽出することは不可能ではないですよね。

何よりトレーナーという仕事をしていますから、朝から晩まで仕事が入っている時もあります。1時間空いたら「じゃあトレーニングしよう!」って思って、45分トレーニングして、でも15分でシャワー浴びて次の仕事っていう感じにできるじゃないですか。僕はトレーニング中にプロテイン飲んでるから、実質食事も完了してしまうんです。

― それは合理的なスケジュールですね。
だいたい朝は、オートミールにプロテインとバナナを入れて電子レンジで加熱したものを朝9時頃に食べます。昼間はプロテイン2回ぐらい飲んだり、夜は減量中は食べないです。

― オフの時はいかがですか?
オフも一緒です。なかなか食べれませんが、いただいたお菓子を食べる時もあります。(笑)
記事画像10
― ストイックに考えすぎないということでしょうか。
ボディビルの考え方として、続けることが大切なんです。だから無理な時間帯に、無理なスケジュールを作っても続かないんです。ストレスを感じさせないことが重要。僕はこの食生活やトレーニングにストレスを感じていないんですよ。そこがポイントなんです。トレーニング始めたばかりの方々っていうのは、「こうあるべき、こうあるべき」ってやってくと続かないんですよ。だからみんなトレーニング自体を止めちゃうんです。

いいんですよ、出来なくても。出来るときに出来ることをやる。それが、社会人がスポーツをするための最大のポイントですから。だから、バランスを大切にしてほしい。減量中でも食事に誘われたら必ず行くし。僕はどんな時でも絶対にお断りしない。「減量中だから行きません」とか、「減量中だから機嫌が悪くなる」とか一切ないです。僕はね、社会人として確立してなかったら、ボディビルをやる意味がないと思っています。

特に僕は接客業だから、イライラするなんてご法度じゃないですか。食事だって、お客さんに何かをいただいたら必ず食べます。だってね、わざわざ持ってきてくれたわけですから。堺部が好きだろうと思って持ってきてくれたんだから、僕はそれを食べます。その分動いて消費すれば良いわけですから。

それをないがしろにしてまで、「コンテストに出ます」だなんて、僕はそんな気持ちにはなれないです。頂いたものは頂いて、それを自分で消費すれば良いわけ。それで減量できなかったら僕はトレーナーとしてプロとして失格です。だから僕はどんなときでも直前でもケーキ食べますよ、有酸素を取り入れればいいわけだしね。

― 普段サプリメントはどのようなものを摂っていますか?
僕は基本的に適当です。お客さんにも言ってるんですけど、続けなかったら意味がないので、高価なものをあれこれ摂る必要は無いですよって。正しい食生活をして食事で摂れたら必要ないんです。サプリメントって結局栄養補助食品だから。僕は足りないのはタンパク質だと思ってるからプロテインを飲んでますし、減量に入ると、炭水化物が足りないからBCAAを摂ってます。だからこの二つだけです。ほとんどサプリメントには頼っていないですね。

― どうしたら堺部さんのようなカラダになれるのですか?食事もとてもシンプルですよね。
BCAAだけはすごく信頼してますよ。アミノ酸ってものに対して、僕はすごく信頼してます。だから基本的に摂るとしたらアミノ酸(BCAA)とプロテイン。たまにグルタミンも風邪予防として摂るかなって感じで。あとは、新しいものや頂いたものは飲んだりしますけどね。

皆さんお小遣いの範囲内でトレーニングをしているじゃないですか。だから精査していったわけです。企業のPRに惑わされずに自分で消費者として見極める目っていうものを持つために勉強するわけです。だから何でもかんでもコピーに踊らされて、あれがいい、これがいいって。お金が潤沢にあれば一つの考え方としては良いんですけどね。それが消費者として、競技者として、見極める目を養っていったら1gでも効くんですよ。

だって人間には脳があるから。プラシーボ効果(薬だと信じ込む事によって何らかの改善がみられる事)っていうのも可能性としてあって、これが効くと思ったら絶対に効くし。だからプロテインも同様に、「プロテイン飲んだら筋肉になるな。」って思いながら飲むのと、「本当に効くのかな。」って思いながら飲むのとじゃ全然違う。

だから僕はいつも指針としてるのは、やっぱり40年前のアーノルドたちのあの体は、ホエイプロテインは無いし、ソイプロテインだけじゃないですか。でもあの体を作り上げたっていうのは何らかがあるんですよ。「プロテインがなかったら無理でしょ。」「あれがなかったら無理でしょ。」っていう発想自体をまず変えていったほうがいいのかも。常識ありきじゃないから。

― 人それぞれ体質が異なりますし、合う合わないがありますからね。
そうそう。試してみればいいんだよ。ただ、僕がいつも思ってるのは、「あれを飲まなきゃ、これを飲まなきゃボディビルで勝てない」と思う人が増えるのが嫌なんですよ。あくまでも競技人口を増やしたいと思ってるし。みんなこんな楽しいもんは無いっていうから、同じように時間を共有したいと思っているので、それだったら無理なくできたほうが良いんですよ。8000円使ってプロテインを飲むんだったら、8000円使って家族と食事に行ったほうが絶対的筋肉になるって。僕はそういう考えなんですよ。

僕も昔は月三万円のお小遣いで「高くてプロテインなんか買えないなぁ」と思いながらやってたからね。(笑)だからきな粉でかさ増しして飲んでみたり。でも時々思いますよ。たくさんプロテインやサプリメントを摂れば、体は変わるんじゃないかなって考えます。それをやったことがないから実際は分かりませんが、可能性としてね。でも大切なのは本質であるトレーニングですから。トレーニングがハードに出来てるかどうか、そこに尽きる。

一つの事をコツコツ続ける大切さを伝えたい

記事画像11
― 指導者として今後の目標はどのようにお考えですか?
僕にとって、ボディビルっていうのは体作りの根幹の一つで、それから派生してきたものが様々なスポーツに活きると思っているんですね。だから、ボディビルを追及するということは、種目が違うだけなんです。

現在トレーナーとして、子供たちのゴルフ指導など様々なことをやっているんですけど、継続力だけは、どの人にも培わせたいなと思っていますよ。結果はどうなってもいいんですよ。でも、一つの事をコツコツ続ける大切さを分かって欲しい。今の人は、三ヶ月入って直ぐに止めましたっていう人が多い。とにかく継続することが大切なんですよ。

最終的にはそれが自信になっていくしね。だって、失敗っていうのは諦めない限り、失敗にはならないんですから。諦めたその時に失敗という言葉が生まれるんだよ。続けている間は失敗とは言えませんから。だから死ぬまで続けて初めて「僕の人生失敗だった」って事になるんですよ。そうならない限り、まだ成功するプロセスがある。とにかく続けなさいと。

― ある意味、継続することが一番難しいのかもしれないですね。
指導者として、僕らはいかに継続させるかがポイントだと思ってますよ。だから楽しくなければいけないし、成果が出なくちゃいけない。モチベーションを上げることができないといけない。どんな競技でも一緒ですよ。続けることが全てです。だから、この競技をやってる人たちにも、とにかく諦めないで継続するように強く伝えています。

― 競技者としての目標はいかがでしょうか?
僕は、本当にコンプレックスばっかりなんですよ。誰よりもボディビルの素質がないと思っているんです。でもね、だからボディビルやってるんです。カッコイイこと言うわけじゃないですけど、「過去は過去だから」、僕はコンテストのトロフィーやメダルって物に対して執着心が全くないんですよ。

― それでは、コンテストに何を求めていらっしゃるのでしょうか?
コンテストに出たっていう事実と、それを元に次のスタート地点を探しにいってるんですよ。

― 常に自分をアップデートさせるためにコンテストに出場し続けているということでしょうか?
そうそう。自分の今のレベルを測定・評価をする場がコンテストなんです。だからそれが終わったら次にスタートするためのスタートラインに並ぶためにコンテストに出場する。そこでいい成績を残したとしても、その時だけなんですよ。だからトロフィーやメダルは必要ない。「絶対にほしい!」という執着はありませんね。僕は常に現在進行形で生きていたいんです。現にどんだけトロフィーがあったところで、僕には関係ない。それは終わったことに過ぎないですから。

だって、トロフィーやメダルが欲しくてコンテストに出場しているわけじゃないでしょ。1位が欲しくてコンテストに出場しているわけじゃないですか。今の状態、自分がどこまでできるかってことを確かめるためにね。それで、そこで負けたらもっと行こうもっと行こうっていう繰り返しですよ。負けばっかですけどね。(笑)でも、勝つことだけでなく、トロフィーやメダルを目標にして、それらのコレクターになるのは良いことだと思いますよ。だだ、僕にはそれはない。

― コンテスト出場における目標はありますか?
指導者の目標と被るんですけど、なんでコンテストに出るかって言ったらさ、指導者として常に実践者でないといけないと思うからです。机上の論理だけで選手っていうのは語れないと思うし、自分が結果出して初めて選手たちもあぁしたい、こうしたいって思うだろうし。自分が苦労して自分が間違えないと。だから、常に自分が実験台なんです。お客さんにそれをフィードバック出来ますからね。だからね、間違えることもいっぱいありますよ。「あぁ、これ失敗したよなー」って。でもその中から取捨選択して成功したものだけをお客さんに提供していく。だから僕は仕事のためにコンテストに出てるっていうのもすごく大きいですね。

だからもう口ばっかりのトレーナーにはなりたくないです。自分が実践をして自分が結果を出して自分が失敗したことを失敗させないようにするのがトレーナーだと。僕はずーっとこうやってきたんですよ。もう回り道回り道回り道をして二十何年かけて今のところに来たんですけど、始めたときに今の知識があれば5年で僕に追いつくと思う。だからお客さんにもそうしてあげたいんですよ。だって無駄なことをしなくて済むじゃないですか。それは選手を続けていない限りは絶対に無理です。「昔選手してたから今仕事できます」だなんていうのは、僕は無理です。だって常に進化しているんだから。

― そうですね。新しい情報を取り入れながら、自分の体で実験して、時代の変化に適応していかなければなりませんね。
幸いにも、ミッドブレスというジムがあるので、自分で好きな時に好きな時だけトレーニング出来るし、そういう面では役に立ってるから。ミッドブレスもね、みんなが集えるようなコミュニティの場になるといいと思っててさ。情報交換の場に。


堺部さん、本日はありがとうざいました。
  • 堺部 元行(さかべ もとゆき)
    誕生日:1964年03月19日

    フィットネスジムミッドブレス
    ヘッドパーソナルトレーナー
    一般社団法人NPCJ理事

    ■資格
    保健体育教諭免許(中学1種 高校1種)
    日本水泳連盟2級水泳指導員
    日本ボディビル連盟2級指導員
    加圧トレーニング本部公認
    加圧トレーニングインストラクター

    ■競技歴
    小学生より水泳を始め、大学、社会人となるまで競技水泳を実践。全日本選手権、国体等で多数優勝経験あり。26歳よりボディビルを始め、1995年JBBF千葉県ボディビル選手権にて優勝。10年のブランク後、42歳で横田基地で開催された2007年日米フレンドシップボディビル選手権に出場しライトヘビー級で準優勝。2009年横須賀基地ボディビル選手権で優勝。
    2009年 JPCジャパンナショナルズボディビル選手権にて優勝。
    2012年 ミスターロサンゼルス ライトヘビー級優勝
    2014年 ニューヨーク アトランティックステイツ マスターズ優勝
    2015年 ニューヨーク アトランティックステイツ マスターズ優勝

撮影協力:
MID BREATH
写真協力:
一般社団法人NPCJ
[ PHYSIQUE ONLINE 限定記事 ]