難病を乗り越えて手にしたモノとは/NYトレーナー桜庭 麻紀
掲載日:2015.06.05
本物のフィットネスを日本に広めたい
「体作り」にこだわる人が世界中から集まるニューヨークで、パーソナルトレーナー歴9年目を迎えた桜庭麻紀と申します。NYで最もホットとされ、セレブやハリウッドスターなど有名人も数多く利用する高級フィットネスクラブ(Equinox)が前代未聞で雇った初の日本人(日本国籍)のトレーナーとして、約7年間、頑張らせて頂いたのですが、活動の範囲をNY(というか米国)の外にも広げたいという思いが募り、2013年ついにフリーになりました!その甲斐あって、日本にもクライアントを持ち、東京ーNYを往復する生活が始まりました。
フィットネス分野に関しては、まだ日本は「発展途上国」という感がありますが、ここ数年で日本人の意識もだいぶ高まってきたように感じます。ただ玉石混合で、海外から何でもカンでも紹介されては飛びついては飽きて結果も出ないーという、時間とお金の無駄を繰り返しているようにも見えます。
個人的には「本物しかいらない」し、また競争の激しいNYに長く在住して、結局「本物しか残らない」というのも学びました。"カッコイイ"だけでは片手落ちで、"機能的(すなわち健康)"でなければ意味がないと思っていますーと私が申し上げましたら、「それこそが "PHYSIQUE"やーっつ!」と絶叫された編集者の方の意向と合致し、このような記事を書かせて頂く次第になった事を嬉しく思っています。
まず、私のバックグランドは多少変わっていて、観光ビザとスーツケース1つで何のあてもなくJFK空港に到着したのがニューヨークでの出発点でした。
運良く臨床検査技師の国家資格を有していた事で、NYに拠点をおいていた日系企業のバイオテクノロジー部門に採用され、それを機に永住権も得ることができました。その後、フリーの医療翻訳・通訳業をしながら、ニューヨーク市立大学の大学院でMBAを取得するという、トレーナーとしては「なんでやねん!?」と突っ込まれるような経歴があります。
なぜ、医療サイエンス分野で積んだキャリアもMBAという学歴も捨てて、パーソナルトレーナーとして一から出直す決心をしたのかと聞かれる事がありますが、私にはNYに来る以前に、自分の原点とも言うべき"異色の"経歴があります。
私の原点:一生治らないと言われた「難病」
実は十代の頃に難病(慢性関節リウマチ)に冒され、医者からは「一生治らない」「将来的に車椅子生活もしくは重度の身体障害者になる」と言われ(実際に車椅子生活も経験しました)、絶望の淵にありました。
私が発病した当時は、何を読んでも、あまりに悲観的もしくは慰め的(それもあまり助けになっていない)事しか書いてなかったので、当初はそれに乗せられて深く落ち込んでいたのですが、そのうち読むのも頼るのもやめ、自分の信じた道を歩む決心をしました。 『こんなんで生きて行くなら、死んでしまった方がマシかも?』なんて思いつめた後、逆に、死んだ気になれば何でもできるんじゃないかーという気がしてきたのです。もう、破れかぶれ。自分の夢に向かって、好き放題に生きることに決めました。
あくまで「現代医学では」一生治らないという事だと理解し、病院を飛び出て(自力で歩けなかったので父の背中におんぶされて退院しました)、東洋医学を含む代替医療の世界に飛び込みました。
そして、そこで「運動」の重要性を学びました。私の場合、体の不具合と激痛を乗り越えて運動して一抹の治癒の望みにかけるか、一生身体障害者として生きるかの究極の選択を与えられました。もちろん「運動」を選択したわけで、それゆえに現在の自分があります。もちろん、リウマチを克服するには「運動」だけではなく、食事、考え方、ライフスタイル全てを見直すホリスティック的なアプローチが必要でしたが、ここまで来られたのは「運動」の功績が一番大きかったと断言できます。
パーソナルトレーナーへの道
パーソナルトレーナーとして新たな人生を歩む第一歩が"Equinox"だったというのも、何か"神の計らい"的なものが働いたような気がします。実際、Equinoxは私の憧れのフィットネスクラブでした。
ある日、マンハッタンを歩いていた時に、何やらオシャレなスポーツウェアのブティックとヘルシーフードのカフェテリアが一緒になった、新しいコンセプトのお店が目に入りました。『へーえ、気の利いた新しいお店が出来たんだな〜。ニューヨークぽくてステキ!』なんて思って見ていたら、とてもステキな風貌のジムウェアを着た、モデルと見間違うような人たちが、次々とそのオシャレな店に入って行くので、『一体、このお店は何!?』と思っていたら、実はそこが "Equinox"というフィットネスクラブだったことを、後で知りました。
カッコイイけど高そうだし、日頃、庶民的なフィットネスクラブに通っていた私にとっては、雲の上のような存在でした。それが、パーソナルトレーナーとしての新たな人生を歩もうと、資格を取得して仕事を探し始めて間もなく Equinoxから採用の知らせを受けた時にはビックリ仰天!! これはもう、清水の舞台から飛び降りるしかないと覚悟を決めました。
私が配属されたジムは本社ビルにある支店で、50人以上いる同僚トレーナーたちの中には、オリンピック候補選手、元ボディビルチャンピオン、伝説的レスラー、テコンドーのヘッドコーチ、元フィギュアスケートの全米チャンピオンなどがいて、「元身体障害者」の私にとってはドン引きの世界でした。でもフタを開けると、竹を割ったように明るくダイナミックな、まさに「健全な肉体に健全な魂が宿る」を地で行く、今まであった中で「最高の同僚」と思わせるような熱い人たちでした。ホリスティック的に見ても最高の環境にあって、今まで以上に心身共に健康になってゆく自分を感じました。
その上、トレーナーとして「肉体改造」の世界に出会って、今までなった事のないようなナイスバディの自分を鏡の中に発見して驚嘆しました。「これこそが、フィットネスだ!」現在、病気だった事を微塵も感じさせないと言われる健康ボディと、素晴らしい多国籍の仲間、そして私のセッションに感謝して下さるクライアントさん達に囲まれた生活を、憧れのニューヨークで送っています。
タイムマシンがあれば、絶望と悲嘆にくれて病院のベッドで泣いていた十代の頃の私に会いに行きたい。そして言ってあげたい。「ほら見て、こんなに健康でナイスバディの私!ニューヨークで活躍してるよ。これが将来のあなただよ!100人の医者に治らないって言われても、あなたはできる。全てを乗り越えられる。あなたの夢は全てかなう。あきらめさえしなければ!」
という訳で、私の「健康」と「グッドシェイプであること(すなわち"フィットネ")」への感謝とこだわりはハンパではありません。フィットネスこそが、私をここまで押し上げてくれたものです。元々、多くの人に「健康」になる喜びを届けたくてトレーナーになったのですが、はからずも Equinoxでは「肉体改造」のスペシャリストとして人気トレーナーになってしまった私。
これから PHYSIQUE MAGAZINEを通じて、健康になりたい日本の皆様がナイスバディも同時にゲットする一方、「カッコよく」をめざした人が故障知らずの健康体もゲットできるような、お役立ち記事をお届けするつもりですので、乞うご期待!!本日は、これにて失礼いたします。Love from New York!
フィットネス&ボディメイク情報誌
[ PHYSIQUE MAGAZINE 001 ]
[ PHYSIQUE MAGAZINE 001 ]